あてもなく

誰かへの手紙

「友達のメンテ」について思った事

ちょっと前に見かけた増田の記事。

なんとなく心に引っかかりつつ時間が経った。この記事に対しては何のアンサーにもなってないけど、触発されて思ったことを書いてみよう。

 

anond.hatelabo.jp

 コミュニティが変わると人間関係が変わる。高校から大学、大学から社会人、職場から別の職場へ、居場所は数年おきに変わっていった。その都度構築した人間関係はあったはず。でも私は居場所を変えるたびに引き継ぎせずに関係性を無下にしてきたのだ。

 

わたしの場合、せっかく連絡がくれた人に返事をしないで無視するようなことはさすがにないのだけど、お互い疎遠になってすっかり連絡を取らなくなってしまって、もう今さら「友達」と呼ぶことはできないなあと思う相手はたくさんいる。

学校時代にちゃんと付き合った友達とは昭和~平成序盤の流れでずっと年賀状を送り合っているため、20年近く会っていなくてもそれによって「メンテ」されている状態だけど、大人になって、よほどのことがなければお互いの住所を教え合わないような世の中になってからの友人関係は自然消滅してしまいがちだ。

 

コロナ禍はその傾向に拍車をかけたと思う。

子供が小さかった頃からのママ友、いくつかパートで働いた職場の仲間など、その都度仲の良かった人が全くいなかったわけではなくて、以前はそういう人たちと、年に1回ぐらいは「ランチとかどう?」って声を掛けたり掛けられたりして細々と繋がっていたのだけれど、最近はすっかり連絡をとることができなくなってしまった。

だって、今では普段会わない人とわざわざ会って食事を共にするということ自体が、危険な行為になってしまったから。

「友達のメンテ」ってそこまでの危険を冒してやることではないし、今は、食事に誘うという行為自体が信頼を損ねてしまいかねない世の中だ。

 

食事に誘うっていうのは、以前は一番無難なコミュニケーションの手段ではないか。

というか、大人になってからは人と会っておしゃべりするのって食事抜きには考えられない気がする。

それが封じられるのはつらい。

 

実は、コロナ以前の2019年の終わり頃、わたしは「2020年はもっと友達をランチに誘ってメンテナンスを強化しよう」って考えていたところだった。

子供は大きくなってしまったので、子供繋がりのママ友なんてこれ以上できそうにないし。

当時はファストフードのバイトをしていたけど、仕事の性質上、会話ができる仲間ができそうもなかった。

そのバイトだって多分そう長くは続けない気がしてたけど、だからといってその後腰を据えて働く職場を見つけるつもりもない。

そうしたらわたし、もう今後は誰とも出会う機会なんかなくて、全ての人にどんどん忘れられる一方なわけ。

ひょっとしたら、このまま死ぬまで家族以外の人と食事や飲みに行ったりおしゃべりしたりすることなく過ごすことになるのではないか、なんて。

言いようもない不安を感じてしまったのだった。

 

多分ね、引用した増田さんが感じた不安って、そういうことなんじゃないかな?

そういう意味で、「わかるー」と響いた部分があったんだよね。

 

まあ結局、たくさんの人に声を掛けて繋がりを温め直すはずだった2020年はコロナのおかげで幻に終わったわけですが。

そんなコロナ禍の1年を過ごして逆に思ったことがある。

それは、「友達っていうのはわざわざメンテナンスしてまで持ち続けるようなものでもないのかも」ということだ。

 

「メンテナンスが必要な友達」っていうのはつまり、過去の時点で活動を共にした仲間ではあるけれど、ありていに言えば今の自分の生活には全く必要のない存在ってことだ。

だからこそ、意識をしない限りは連絡を取ろうとか思わないわけで。

そういう人たちに連絡をすることや時間を作ることを億劫に感じるのは、仕事や家事で忙しいとか考えなきゃいけないことがいっぱいあるとか、たまの空き時間は一人で静かに回復するのに充てたいとか、そういう理由からだよね。

実際、人とわざわざ連絡を取ったり、日程を調整して会うための時間を作るのは、大人の生活の中ではなかなか大変なことだ。

ただ、今はちょっと忙しいけれど、いつか仕事も家事もなくなって一人で過ごすことにも飽きたときにふと、周りに誰も居ないことに気がついて慌てても、そこから友達を作ることは難しいのではないだろうか。

だから、過去に関わりのあった人たちを「貯金」のように今後のためにキープしておこう。

それが「メンテナンスをしなきゃ」と駆り立てる根拠になっているのかもしれないけれど、ちょっとその考えが間違ってるのかも知れないなあって思ったのです。

 

その来たるべき時が来れば、「メンテナンス」なんて堅苦しく考えるまでもなく自然と気軽に時間を作ったり人のことを考える余裕ができているんだろうから、だとすればそうなってから周りを見回してみても全然遅くないんじゃないかなって。(もしいくつになってもその余裕ができないのであれば、あなたはいくつになっても友達なんか必要じゃないタイプだったってことですよ)

わたし自身、現時点では、例えば60歳になった時に飲みに誘えそうな友達なんて一人も思い浮かばないけれど、だからって、60歳になったときに飲みに誘える相手を確保するために過去の友達関係を掘り起こしてこの先15年欠かさずメンテナンスし続けるのかっていうと、それはなんか違うよね。

 

学校時代に「新学期にうっかり出遅れるとグループに入りそびれてぼっちになる」みたいな怖さが刷り込まれてるから、「今は友達がいません」っていう状態にふと気がつくと不安になったりもするけれど、大人の社会ってもうそんなことないんじゃないかな。

 

コロナのおかげで全く誰とも会わなくなって考えたのはそんなことです。