あてもなく

誰かへの手紙

自己肯定感とか承認欲求とかと、ブログを書くこと

ブログに戻ってきて早々にこういうことを言うのはナンですが、

誰かに「いいね」と言われるからがんばれる、というタイプの人(=わたし自身がそうですが)には、今はもうあまりネットはオススメではないのかもしれない、と思う今日この頃です。

 

わたしがそこにいることを認識している人がいること、認識した上で、それをどっちかというと好ましく思ってくれる人がいることは、わたしが生きる上では大切なことだと前回の記事で書きました。

欲を言えば「いてくれてうれしい」「これからもそこにいて欲しい」と思われていると、わたしは非常に生きやすい。欲を言えばですが。

でも、誰かに「あなたはそこにいていい、そこにいてほしい」と言ってもらいたいと願うのは、もしかしたらちょっと出過ぎた欲求なのかもしれません。

他人の行動はコントロールできないのだから、他人に期待せずに自分で自分を肯定するのが良いよ、と。

今は、そういうことが推奨される時代なのかもしれないと、ネットの言説などを見ていてそう思います。

わたしも、誰にも肯定されなくたって、自分で自分を肯定できれば十分なんだ、と思おうとして頑張ってきました。

だって、そっちの方がカッコいいもんね。

 

自己肯定感という言葉は最近ではとても一般的なものになりました。それが足りない人は他者からの承認を際限なく求める羽目になる、とも。

自分で自分を肯定できず、他者からの承認を求めて行動するのは時に「醜い」と評価されたりもします。

醜いまで言わなくても、やっぱり、他者からの承認を求めてばかりいるのはしんどいし不毛だよなあと思うことはよくあります。

ですが、逆に、他者がわたしのことを肯定してくれることは、自分で自分を肯定するのの100倍ぐらい生きる力を与えてくれる気がしませんか。

「わたしはわたしでいいんだもん」って思っている時より、誰かから「あなたって、いいよね!」って言われた時の方が断然元気が出ます。

人からお願いされた時の方が、よーし、がんばるぞって思うし、力が出ます。ありがとうって言われたら、心が浄化される感じがします。

みんなはどうか知らんけど、わたしはそうです。

承認欲求という言葉で表現するのはなんとなく抵抗があるけれど、やっぱりこの感じを表現するにはこの言葉を使わざるを得ないのかもしれません。

 

で、承認欲求なんですけど、昔はもうちょっとネットで承認欲求を簡単に満たせていたような気がするんですよね。(今から10~20年前ぐらいの感覚)

昔は、発信しているだけで、何らかのコミュニティの一員になれる感じがあったし、何か発信しているとそれなりに反応をもらえることが多かったんです。

今は、ネットで発信することでつながれるコミュニティってあんまりない気がします。

そういう中では、はてなって、コミュニティ意識みたいなものがまだかろうじて残っている方なのかもしれないな、とは思いました。

 

昨今、もう世の中のほとんどの人がネットにつながるようになったことで、ネットはテレビとか新聞とか、従来のマスメディアとほとんど変わらない存在になってきました。

何らかの才能を持っている人や、特別な情報を持っている人、あとはお金(広告費)をたくさん払った人にしか光が当たらない場所になってきているのかなという感じはします。(逆に、めちゃくちゃ悪いことをした人とかね)

そんな中で、何の発信力も、特別な情報も、人を惹きつける発想もないわたしが「自分がここにいてもいいんだ」っていう感覚を得るためには、もうネットは難しいと思います。

 

ではどうすればいいかというと、結局、身近な人との付き合いの中でそれを得るしかないんじゃないかと最近思うんですよね。

リアルで知り合いになって、何らかの行動を共にする「仲間」になると、どんなに平凡で地味な人間でも、さすがに見えずにスルーされるようなことはないので。

みんなのために行動してくれる人に「ありがとう」を言うのは当たり前だし、自分が何をすればいいか迷ったとき、何をすれば喜んでもらえるか直接聞いたり、反応を見ながら進められるので、リアルってかなり気が楽です。

 

というわけで、今後わたしにとってブログは、リアルで人との関わりを持って承認欲求を満たしつつ、その中で感じたこと、リアルでは言えない(言いにくい)ことを言葉にしていく場、自分の思いの発散のために書くものになっていくのかなと思っています。つまり、ブログで承認欲求を満たそうと思わないってことですね。

 

みんな、とっくにそうしてたって?

まあ、そうか。そうだよねw