あてもなく

誰かへの手紙

ネットとリアルの区別と、文章で表現することについて



珍しく、他のブログに言及していただいた。

照れくさくもあり、でも大変うれしいです。ありがとうございます。

今日は、そのことについて逆に言及してみたいと思います。

 

kaedenote.hatenadiary.jp

 

 身内にはあまり知られたくない。知られて困る内容ではないけれど、こっちの私はあっちの私ではないので、とにかく恥ずかしいんですよ。

ツルの恩返しの、「決して開けてこちらを見ないでくださいね」という感覚です。

そんななので、夫婦で日々思ったことをそれぞれが発信していて、それをお互い知っていて、お互い読んでいる、というのが、すごく不思議。

 

我々夫婦がそれぞれはてなでブログをやっていて、お互いが書いた内容を読み合っているという状態であることについて「不思議」だという感想をお持ちになった。

つまり「それって、恥ずかしくないの?」ということを感じられたようである。「そういう夫婦の関係って、自分に置き換えると恥ずかしくてとても考えられないな」と。

 

それに対してお返事するならば、ちょっと語弊があるかもしれないけど、「恥ずかしくないことしか書いていないです」という答えが一番近いのかなあ……と思う。

なんというか、わたしが書いてるこれらの文章は、好き放題赤裸々に書いてるように見えるのかもしれないけど、自分にとっては、ブログのエントリーになった時点で「作品」だと思っているので。

だから、日記を読まれてるみたいなそういう「恥ずかしい」とは全然違うかな、ということです。わたしにとって、ネットで文章を書くことは「ツルの恩返し」の障子の向こうではない。

障子の向こうも多分あるけど、それはブログには上げませんw

 

さてさて。

ネットで文章を書いていることをリアルの人に知られることについてどう思うか、というのは、例えば、フラダンスを習っている主婦が、どれぐらいの範囲の関係者に「発表会があるから見に来てね!」と言えるかどうかと似ているのかもしれない。

バイト仲間やママ友に声を掛けてでも、できるだけたくさんの人に会場に来てもらいたいと思う人もいるだろうし、薄いつながりの人に「え、○○さんってフラとかやるんだ!」って驚かれたり、イチから説明するのは恥ずかしいしめんどくさいから家族だけ来てくれればそれでいいや、とか、「舞台で自己表現するわたし」を見られるのが恥ずかしいから家族でさえも会場に来ないで欲しいと思う人もいるだろう。

そこにあるのは、ネットとリアルの差、というよりも、表現活動に向ける意識の違いのような気がする。

 

我々ブログを書く人間からすれば「文章を書く」ということは息をするぐらいに当たり前のことだけれど、世の中的には「文章を書いて、しかも他人に読ませる」というのは、例えに出した「フラダンス」以上にマニアックな趣味にあたるのではないかと思われる。

わたしと夫は、最初に会った時からお互い「文章を書く人」であったので、お互いの文を読み合うことにも抵抗はないけれど、わたしも、わたしが文章を書く人だと知らない人にいきなり「ブログ書いてます」なんてことは言えない、というか言わない方が身のためだと思っているようなところはある。

 

実は以前、それでちょっと失敗したことがある。

Facebookというものが流行りはじめて、ついにリアルの知人がネットに姿を現し始めた頃のことだ。 

Facebookに、いつものクセでうっかり読んだ本の感想を真面目に書いてアップしたら、リアル知人たちが驚いて

「どうしたの!悩みがあるなら相談にのるよ」

「本の感想なのよね?何かあったわけじゃないよね?」

などと、次々心配するコメントを寄せてくれてしまったのだ。

わたしはその以前からなんやかんやとネットで文章を書いていたので、本を読んで思ったことがあれば、200字ぐらいでサクッと感想文を書くことも当たり前だと思っていたんだけど、文章で表現することが当たり前でない人たちにはその行為が「よほどのことでもあったのか」と、特異なこととして捉えられたようである。

日頃は言葉少なでおだやかなだけのわたしなので「らしくない」という印象にもなったのかもしれない。

 

それ以来、Facebookにはスイーツとお花の写真しかアップしていない。

 

表現というのは、やっぱり場所を選ぶし相手も選ぶ。

そして、場所や相手の選び方も表現者によって様々です。

ちょっと話が散らかってしまいましたが、わたしはそんな感じで書いてます。