あてもなく

誰かへの手紙

思い通りにならないことを

リアルで言えない悪口は、ネットでも言ったらダメな気がする。

書いた直後はスッキリするようでも、その後だんだん落ち着かなくなってくる。

ひとのきもちというのは、なんやかんやバランスが難しいもののようだ。

 

さてさて。

最近、いろいろ疲れることがありまして。

その後はわりとゆっくり過ごしているつもりなのだけど、なんだか疲れが取れない感じがする。

仕事を入れていなかったある日のこと、午前中は洗濯をしたり朝食に使ったキッチンの後片付けをしたり、やる気が出ないなりにノロノロと家事をしていた。

午後になってもやっぱりどうしてもダルさがとれず、仕方がないので、まだ部屋は散らかっているけれど、とりあえず身体を休めることを最優先にして昼寝をすることにした。

昼食の少しあとから2時間ほど眠る。

目が覚めると、日が傾いて外は少し薄暗くなりかけていた。

明かりをつけると、部屋は当然寝たときのまま、散らかっている。

そのときに感じるのは、「ああよく寝た!休めた!」という満足感ではなく、一体自分は何をしているんだろう、という焦燥感だったりするんだよね。

大げさに言えば、「わたしって、何のために生きているんだろう!」ぐらいのw

休むといっても、ただ寝るだけでは回復するより失う物の方が多いらしい。

そういうことがあるので、少なくとも平日の昼間ひとりで家で過ごす「家事日」には昼寝をしない方が良いのかもしれないなあと思った。

 

このように、休んでも疲れが取れないと感じるときって、身体が疲れているというよりは、頭?心?つまり、精神が疲れているんだよね。

あまりにも自分の思い通りにならないことを我慢しすぎて消耗した、みたいな。

「思い通りにならないことを我慢」といっても無理矢理何かを押しつけられたという意味ではなく。目的達成のために、時にはあえて心を無にして、やると決めたことをやり抜くほうが結果としてうまくいくことってあるじゃないですか。そういうひとときを経た疲れみたいなの。

 

そのような、いろいろ我慢して過ごした後の疲れを癒やすのに必要なのは、ふとんをかぶってフテ寝してしまうより、もっとなんかアクティブなことなのかもしれないなあ、と思ったりしたのでした。

面倒でも部屋をきちんと片付けたり、一つでもやらなきゃいけない用事を済ませていくようなことの方が、結果として「思い通りになった」成功体験の積み重ねになるのかもしれない。

ブログも休まずきちんと書いたり、ね。

 

決まったペースで仕事に行かない生活というのも、自分を律するという意味では難しいなと思う。

気力と体力を見極めながら、ちょうど良いところを模索する日々は続く。