あてもなく

誰かへの手紙

ガマンしないというのはめんどくさいことでもある

先日、「元気の秘訣」として「ガマンしない」という心がけを挙げた。

頭が痛いときはすぐに薬を飲む、寒いと思ったら着る物を増やして暖房をつける、腰が痛いときはすぐに湿布を貼る。などと。

そんでね、まあ普段からそのようにしているつもりではいたんだけど、改めて意識して生活してみるとちょっと面白いことがわかった。

 

ある日のこと、目覚まし時計が鳴るより1時間ほど前に目が覚めた。

早くに目が覚めてしまった原因は、腰が痛いことだった。

「ガマンしない」という心がけに従うのであれば、すぐに起きて湿布を貼らなければいけないが、起き上がるのが面倒でしばらく布団の中でじっとしていた。

もしかして、痛いよりも眠いが勝って、このまま目覚まし時計が鳴るまでもう一度寝てしまえないかなと思って。

だけど、布団の中にいたというのに、そのまま寝てしまうどころかどんどん寒くなってきてしまった。もちろん腰は痛いままだ。

エアコンは寝る時には一旦切ってしまっているので部屋は寒い。

(布団の中は温かいはずだけど、布団のなかでただゴロゴロしてるとだんだん寒くなってきませんかね?わたしはいつもそう。)

 

仕方が無いので諦めて起き上がり、エアコンのスイッチを入れて、湿布を貼ることにした。

湿布を貼ってから、愛用のマッサージボールをお尻の下に入れてしばらくマッサージ。そうこうしているうちにやっと腰の痛いのが治まって部屋も暖かくなったが、具合が良くなった頃に目覚まし時計が鳴って起床の時間となった。

 

自分の快適さのための手間は惜しまない、ということが「ガマンしない」の本質だとすれば、それを実現するのは結構面倒なことだなあと思った。

つまり、「ガマンしない」というのはとてもマメな行為だと言える。

逆に言えば、めんどくさがりな人というのはとても我慢強い人なのかもしれない。

 

部屋が散らかって気持ちが悪いと思うなら片付けをしなくちゃいけないし、家の中の物の置き場所が使いづらいと思うならちゃんと効率的な物の配置を考えて並べ替えないといけない。

 

わたしはどっちつかずで中途半端だと思う。

自分の身体や身の回りの不快感をガマンすることも難しいくせに、面倒くさがりで行動にマメさが足りない。

ガマンできないのなら早く動けばいいのに、面倒くささに勝てないせいでしばらく不快感をガマンする羽目になる。

わたしは「我慢強い人」か「マメな人」のどちらかを目指さなければならない。

自分がこれから目指すとすれば、どっちかっていうとやっぱり「マメな人」ということになるだろう。なにしろ、ガマンが苦手な人間なので。

面倒さの余り苦痛を長引かせるのは本末転倒と肝に銘じてマメな人に生まれ変わりたいと思う。

 

さて。

それにしても、なんでただ寝てるだけで腰が痛くなったりするんだろうかと不思議に思う。

そしてもう一つ不思議なのは、マッサージボールなんだけど、わたしの腰痛は大体いつも右側に出るのに、マッサージボールを当てて気持ちいいツボがあるのはいつも左側なんだよね。

すぐにどこがツボかわかるわけではないので毎回色んな場所にマッサージボールを当てながらツボを探すんだけど、痛い右側から探し始めてなかなかピンと来ず、まさかと思いながら左へ移ってから「ここだ!」というポイントが見つかることが多い。

人の身体というのは不思議だなあ。

 

そもそもわたしの腰痛は医学的にはこれといった悪いところがなくただ痛いので、ほぼ心の問題としての腰痛だと考えられる。寝てるだけで腰が痛くなるのも、多分心の問題だ。

とりあえず、ツボを押すとスッキリするのも、それによって心のどこかに何らかの満足感が得られているからなのだろう。

痛い場所が本当に痛いわけではない、というのもまためんどくさい話だ。

放置すると悪化しかねないので、やはりこれもマメに対処していくしかないのだろうなあ。

 

ああ、めんどくさいな。