ちょこっと気になった記事。
「学力」という指標は少し微妙だとは思った。
学力の高さが特に必要ではない仕事もたくさんあるし、一概に学力が高い=能力が高いとも言い切れないと思う。まあ、学習能力が高いと、仕事でも有利な事は多いかもしれないけれど。
そして、学歴が収入につながっていない人は女性に多いというのは確かにそうだと思う。
おそらく、わたしもその中のひとりだ。
ただ、一方で、収入がなくて何が悪い?とも思う。
わたしも、これまでいろんなところで「もったいない」って言われたけど、大きな企業や役所なんかでなんだか難しそうな仕事をして、朝から晩まで働いて、たくさんお金をもらうことが「活躍」で、そうでない人は能力を活かしていないからもったいない、というのはどうかと思う。
うちの場合、必要なのはお金じゃなくて人手だと思う。そりゃ、お金はあればあるだけあった方がいいけど、衣食住という生活の基礎を維持するためにはお金ばっかりあっても仕方がない。
そのお金をちゃんと使って快適な生活を維持する、そのためには、どうしても人手が必要になると思う。
わたしがいるから、夫や子供は自分の仕事や勉強に集中して取り組むことができるし、わたしが比較的高い教育を受けてきたことも、この仕事に十分役立っていると思う。
ただ、そんな金にならない(金を使う)仕事をわたしが担うことになったのは、やっぱり行きがかり上「女だから」だったと言わざるを得ない。
そっちの方が自然な道だったから。
だけど、もし、これからの若い人たちの中で女性だけが「女だから」ということで強制的にこの仕事を担わされる運命を背負っているとしたら、それは不公平なことだとは思う。
不公平だというのは、この仕事がつまらなくて下等な仕事だからでない。
「自由ではない」という点が問題なのだ。
逆に言えば、男性が「男だから」という理由だけでこの仕事に就くことができないのだって不公平といえば不公平なのだ。
さて。
わたしは以前から何度も、家事を「分担」するのは非効率だしトラブルの元だし、あまり良いこととは思わないという主張してきている。
世の中の流れに逆行する意見なので多分見向きもされないけれど。
もし、わたしが何らかの能力を認められて、手取りで月収20万、ボーナス有りの正社員待遇でどこかの会社に迎えられたとする。学歴が「もったいなくない」立派な職業に。
そうしたら、今までやっていた家の管理は一切できなくなる。
だからといって、夫や子供と「分担」することもできない。だって、彼らの生活は今まで通りで精一杯なのだから、これ以上負担を増やすと彼らの活動に支障が出る。
家族みんなで活躍して、家事は家族みんなで分担、快適な生活はそのまま維持なんて考えは正直甘いと思う。
家事は片手間で出来るようなことではないのだ。
すべての人が「もったいなくない」生活をするために家を離れるとしたら、行き着く先は「寮」のような生活だと思う。各個人がそれぞれ個室を与えられて自分の持ち物と最低限の居住スペースだけを管理する。
お風呂や洗面は共用、食事も共同の食堂を利用し、そこに集う人々で費用を負担し合って清掃員と調理員を雇う。(清掃員と調理員自身もどこかの寮に住んで、自分の生活はアウトソースするのかな。するんだろうな)
ああ、そうだ。すべての子供を一括で預かって育てるための、新たな施設も必要だよね。(24時間営業しなきゃいけないから、従来の保育園では無理だ)
全員が「活躍」することが前提だとすると、これまでみんなが当たり前だと思っていた家族単位の暮らしは崩壊する。それって、本当に良いことなのかな。