あてもなく

誰かへの手紙

続けるということ ルールを変えれば「続いている」と言えるかも

昨日は「どうぶつの森が続けられない」という話について書いたけれど、人はわりと「続けている」ということを大事に考えるんだなあと思う。

 

もちろん「継続は力なり」という言葉もあるぐらいで、確かに続けるというのはそれだけで価値があることではある。ただ、思うのは「続いている」判定のルールって実は結構曖昧なので、本人が「続けたい」と思っている限り、続ける方法はいくらでもあるのではないか、と最近思うんだよね。

 

たとえば、ブログのこと。

わたしはこのところもう半年以上、毎日ブログを書くということを続けている。

後回しになってちょいちょい日付が変わる午前0時を跨いでしまうことはあるけれど、わたしの中のルールで「その日自分が寝るまでに書ければOK」と決めているので毎日書くという記録が途絶えたことにはならない。

わたしがもし「日付が変わる前に」というルールにこだわっていたら、とっくの昔に挫折していたかもしれない。

というか、そもそもこのブログ、2018年1月から書き始めて、最初は毎日書いてたんだけどそのうち2~3日に1回になり、1週間に1回、1ヶ月に1回……と、どんどん間があくようになって、最長で3ヶ月近く書かずに過ごしてしまったこともある。

ただ、2019年9月の終わり頃からは「毎日少しずつでも書く方が却ってラクなのかもしれない」と思い立ち、今日に至る。

書かなかった日もあるけど、やめなかったから、ブログ歴は2年5ヶ月です。

これも、人によっては続けてるうちに入らないかもしれないけど、わたしのルールでは「続けてる」って言っていいと思ってる。

 

それから、仕事のこと。

わたしは長く同じ仕事を続けられたことがない。

自分でも根気が無い方だと思っている。

そもそもきちんと就職した経験がほとんどないんだけど、子育て後主婦パートとして働くようになってから7年で、経験した職場は4つになる。

今はファストフードのアルバイトをしているけれど、この仕事もコロナの影響でかなり危うかった。今年の3月に入ってから仕事に行くのが怖くなり、結局3ヶ月近くシフトに入らずに過ごしてしまったのだ。

今まで働いてきたごく普通の職場だったら、とっくに「どういうつもりか」と尋ねられていただろうし、それ以前に無給とはいえ3ヶ月連続の休暇なんて無理だ。

退職するしかない。

でも、今の職場は、わたしが3ヶ月もずっと姿を見せずその間一度も上司と連絡を取ることもなかったのに、6月に入ってふらりとシフト希望を提出しただけで、元通りにメンバーに加えてくれた。

これは、今の職場が働く人を従業員と認める定義がめちゃくちゃユルいおかげだ。

3ヶ月間ずっとシフトに入らなくても、本人が「辞めます」と言わない限り「続けている」ことになる。他の職場では考えられないことだけれど、ここの職場のルールでは、わたしもバイト歴がもうすぐ2年になる。

 

運動だろうが趣味の楽器だろうが、どうぶつの森だろうが、「切れ目無くコンスタントに通う」とか「毎日やる」ということを「続けている」と認める条件にしてしまうと、途端に続けることがしんどくなってしまうようなところがあると思う。

仕事などで規定がしっかり定められているなら仕方がないけど、もしその義務がただの「自分ルール」だったら、そして、その縛りのせいで「自分には無理」と思ってしまうなら、それはちょっともったいないことかもしれないよね。

わたしにもそういう傾向は多少あるんだけど、世の中には謎の完璧主義で「自分にはできなかった」って思い込んで諦めてる人って意外と多いんじゃないかなと思う。

 

その「自分ルール」厳しすぎない?

何かが続かないって苦しんでる人は、ちょっとその自分ルールを見直してみるといいのかも。

過去に諦めたと思っていても、ほんとうはまだ全然続きがあって、もし今日思い立ってそれをやれば、それがどんなに久しぶりでも「イチから」ではなく「続きから」になる。

そう思えれば、また少しいろんなことやってみようかなって気持ちになれるかも。

 

わたしは最近そう思うようになりました。

家庭があったり子供がいたり、すべて自分の思い通りに時間を使えるわけじゃない身分で、もし完璧主義のままで生きていこうと思ったら、わたしなんてもう「できないこと」「続けられないこと」ばっかりになっちゃうからね。

それじゃあまりにも残念でしょ?