先日からバイトを辞めるかどうかについて葛藤していましたが、今日きちんと店に連絡をして辞意を伝えることができました。
「葛藤」とはいうものの、答えはもっと早く出ていたのです。
ただ、「シフトの希望さえ出さなければエンドレスで休み続けられる」というシステムに乗っかってずるずると「なんかずっと来てない人」として過ごしてしまってました。
ところが、つい先週ぐらいからシフトを組む社員さんの担当が代わったのを機に、
「長期で休みたい人は理由をちゃんと教えて欲しい」
という要望が全体に伝えられ。
さすがのわたしものらりくらりとやり過ごすわけにはいかなくなったのです。
「辞める」意志はすんなり受け入れられましたし、慰留されるようなこともなく。
近いうちに借りていたユニフォームなどを返却すればそれでおしまいです。
辞めたくなった一番の理由と、その後の葛藤については下記の二つの記事で触れているので改めては書きません。
2018年7月から勤めたので在籍は丸2年だけど、途中で別のパートと並行していた3ヶ月と、今年の3~5月末の3ヶ月、合わせて半年ぐらいは空白期間があり、そもそも週に2回ほどしか勤務していなかったので、あまりしっかり働いたなあという感じもなく、ずっと半人前のままで終わってしまったような感じ。
正直言って、そもそもわたしにはあまり向いていない仕事だったと思います。
今までやってきた事務系のパートに比べて熟練が遅く、結局同僚の中では最後までずっと下っ端のままで、いつも教えてもらうばかりでした。
ただ、同僚たちには恵まれて、人間関係で嫌な思いをするようなことはひとつもなく、とても働きやすい職場でした。わたしがあまり出来の良くない店員でも、そのことで馬鹿にされたりすることは一切なかったし、みんな温かかった。
わたしがこの職場で学んだことはすべてこの記事(のタイトル)に集約されているような気がします。
ただ。
逆に言えば、2019年4月にこの記事を書いた時点でわたしは既に大体のことを学び終わってしまって、それ以降はほとんど成長することがなかったとも言えるのかもしれません。
他にやりたいこともなかったし、人間関係も悪くなかったし、めちゃくちゃスケジュールの融通が利きまくるから続けてきたけど。
最後本当に辞めると決断するきっかけになったのはコロナだったけど、わたしは常にこの仕事を「自分らしくない仕事」だと思い続けていたような気がします。
あえて「自分らしくない仕事」をすることにより得た学びは自分にとっては大きな財産ですが、それも限度ってものはあるのでしょう。
慣れて馴染んだらそれでいいかなと思って飛び込んでみたけど、やっぱりどこまで行っても自分事にはならず、「ちょっと見学してます」っていう感覚が最後まで抜けなかった。
だから、やっぱりもうこの冒険は終わりにするべきだったのです。
前に書いた記事で触れた「社会から切り離される恐怖」とどう折り合いを付けるかについてはまだちゃんとした答えが出ているわけではないけれど、「ちょっと見学してます」のままバイトに行き続けることが果たして「社会と繋がっている」と言えるのかどうか?それはよく考えるべきだよね。
ああ、考えなきゃいけないこと、たくさんありますね。