あてもなく

誰かへの手紙

「やらされ感」を捨てて自由になろう

休日、子供がやってるスポーツの大会があって、その付き添いで家族みんなで1日中外出して、夕方すっかり暗くなってからヘトヘトで帰宅。

わたしは、そのまま座って休む暇もなく急いで夕飯の支度にとりかかる。

なのに、子供と夫はリビングや自室でのんびりとくつろいでいる。

そんなときに、とても自分は損な役回りだと悲しくなる。

 

みたいなことって、主婦の方なら大体経験しているのではないでしょうか。

って、これ、わたしの話じゃなくて、友達の話なんだけどね。

 

大学時代の友達7人でゆるくつながってるLINEのグループがある。

それほどマメに連絡を取り合っているグループではなくて、普段は、離ればなれで暮らしているメンバーのうちの誰かが住んでる地域に台風その他災害が起こった際に、安否確認し合うためだけに存在しているようなグループだ。

 

そんなグループに、珍しく「ねえ、聞いて」といって上記のような内容のメッセージが届いた。

そこのおうちは小学生のお子さんが2人。

もう小学生だから、親がじっと見てる必要はないお子さんたち。それで、旦那さん、のんびりしてるだけならまだしも、ご飯を待ってる間にヒマを持て余してポケモンGOやりにぶらっと出かけてしまったという。

こっちはこんなに忙しいのに!体力余ってるなら手伝えばいいじゃないの!キー!って。

まあ、ね。わかるよね。

他のメンバーも大体主婦なので「ひどい」「わかる」と共感のメッセージがひとしきり流れた。

 

まあ、わたしも「大変だね」「お疲れ様」とは思うし、そのように返信を送ったのだけど。

 

わたしの場合に置き換えてみると、わたしはもう、そういう場面で悲しくなったり腹を立てたりすることからはもうすっかり卒業したなあという感じである。

諦めたっていうことではない。

わたしの仕事はそういう仕事なのだ、と、正しく認識したということだ。

 

わたしは、家庭において、365日の家族の衣食住環境の保全と整備の第一責任者である。そして、わたしの家にはわたし以外にその仕事の担い手がいない。

これは、家庭によってきちんと決めればいいことなのだけど、我が家では、夫や子供は家事労働の担い手ではない。最初から数に入っていないのだ。

 

責任がある、というのは一見大変なようだけど、実は、責任というのは権限と背中合わせだと思う。権限があるということは、どういう風に仕事を進めるか、今何をするべきかということも自分で決められるということだ。

つまり、仕事をラクにするのもしんどくするのも自分次第ということなのだ。

 

1日中外出して疲れて帰ってきた日にも、家族みんな夕飯を食べなければならないのは当然として、それをどんな形で実現するかは責任者である自分が考えれば良い。

家で夕飯を作って食べるのか外食で済ませるのか、それとも宅配ピザやコンビニ弁当で済ませるのか。

経済的な事情などを勘案し(家計管理もわたしの仕事なので、今日外食にお金を使っても良いかどうかも自分で決めることができる)、疲れていても家で作るというならそれは自分の選択である。

 

「みんな疲れているのに、わたしだけ夕飯を作らされて」

と感じるというのは、つまり夕飯をどうするかについて自分には責任も権限もないって言ってるのと同じことなんだよね。

実態は責任者なのに、無意識に「やらされてる」と思い込んでいるんだとしたら、その認識は改めた方がいい。

 

どうも、無駄な「やらされ感」で自分の幸福度を下げてる人って多い気がするのだ。

家事でもそうだし、バイトでもPTAや地域のボランティアでもなんでもそうだけど、やるかやらないか自分で決めていいのに、なぜか「イヤイヤやらされている」と被害意識を持つ人が多いというのは結構気になっている。

もっと自分で決めて良いんだよ。

っていうか、実質全部自分で決めてるんだから、もっと気持ち良くやれるようにすればいいのにって思うのだ。

まあ、悟りを開くまでにはわたしもかなり時間が掛かったので人のことは言えないけどね。

 

 

友人の話に戻る。

彼女は専業主婦とかではなく正規の公務員であり、日頃はフルタイムで勤務している。彼女の夫も同業の公務員で年齢もほぼ同じだからおそらく収入は同レベルであると思われる。なのに、家事は妻に全部お任せってどうなんっていうのは確かに思う。

 

夫も家事に責任があると定義された家でポケモンGOだとそれは契約違反だから怒られて当然だと思うけど、どうも彼女の家ではそんな風に定義されていないのではないかなあって気がする。

なんだかんだ、我らロスジェネ世代、家事は女の仕事だって身体に染みついちゃってるんだよなあ……。

わたしなんかはそれでもう外で働くのはいいやってなっちゃったけど、彼女は学生時代からずっとその仕事をするのが夢だったから、「いいや」ってわけにもいかない。

どっちにしろハードモードだよなって思う。

 

おそらく彼女の家ではその後大きなケンカに発展することもなく、なんとなく我慢してその日は終わったのではないかと思う。

多少は不機嫌風吹かせたかもしれないけど。

こういうことでいちいち爆発しても、結局爆発した方が損というか、キレた方が悪者になる。

実際、改善したいならきちんと問題点を整理して冷静に話し合うのが筋ではある。

とはいえ、結局言い方の問題じゃなくて「言ってもどうせ変わらない」って思いを散々しているからこその諦めの境地っていうのもあると思うのよね。

 

そうであればこそ、やっぱり責任と権限をフルに活用して「やらされ感」から解放されなきゃ幸せになれないんじゃないかなと思う。

やる人が一番偉いのだ。神なのだ。ぐらいでちょうどいいんじゃないだろうかと思う。最近のわたしはそんな感じだ。

 

というような考えをLINEグループ上で垂れ流しても仕方ないので、心の中でひっそり思ってただけだよ。

でも、せっかくたくさん考えたので、自分のブログにとりあえず書いておくことにした次第である。