あてもなく

誰かへの手紙

手抜きで良いよというアドバイスって……



家族がずっと家にいてしんどい

わたし以外の人はテレワークやリモート授業で外と繋がって忙しそうなのに、わたしはご飯を作るとき以外存在を消して部屋にいるしかないのが居たたまれない

 

ということをわたしは再三言ってきました。

このブログ以外の場所でも。

 

そしたらね、

 

「家事なんか、手抜きできるところまで手抜きするといいと思うよ」

 

って言われたんだけどね。

 

いや、心配して何か言ってくれる気持ちはありがたいのだけど、なんかそれってちょっと的外れなんじゃないかなと思ってしまったんですよね。

なんでそれを「的外れ」と思うのか、ちょっと考えてみたいと思います。

 

忙しいのがつらいわけではない

家族がずっと家にいることで確かにご飯を用意したりする手間とか責任感というのは増えたし、以前よりもたくさん食材を買ってこなくちゃいけなくなったのは大変だなあと思っているけれど、わたしの場合、こうなってからはバイトにも行かなくなったので、生活の中で「時間に追われている感じ」というのは全くないのですね。

むしろ、「空虚に流れる時間」の長さに苦しんでいるのです。

もしこの状態から更に家事を手抜きしたら、わたし、もっと長いこと部屋でじっと時間が過ぎるのを待たなくちゃいけなくなるじゃないですか。

それが辛いって言ってんの。

ま、だからといってこれ以上なんか「家事」的なものを増やして時間を潰したいとも全く思わないのですけど。

 

家事を手抜きすると、その分は必ず自分に跳ね返ってくる

たとえば、1日洗濯をサボれば、洗わなかった分はそのまま明日の洗濯物に上乗せされるだけ。

1回掃除機を掛けるのをサボれば、その分部屋は汚くなる。

いつも完璧にピカピカにしておく必要はないし、そんな風にはしてないけど、わたしだって、できればそこそこ綺麗な部屋で過ごしたいです。

別にすごく手の込んだごちそうを食べたいわけではないけれど、そこそこ美味しいご飯が食べたいです。

他の誰かがやってくれればそれに超したことはないけど、ウチにはわたし以外にやる人がいないのだから、自分の「快適」の為に最低限のことはしたいと思います。

家族の分なんか「もののついで」みたいなもんですよ。

これ以上家事を手抜きすると自分が不快になってしまうので嫌です。

 

そもそも、わたしの家事はこれ以上手抜きの余地がないかもしれない

お金を使って外注すれば、なんて話もよく聞くけど、わたし、そもそも外注に値するほどの家事なんかほぼやってないのですよね。

多分、本当にきちんとしてる人が聞いたら引くほど、わたし、家のことあんまりやってないと思う。ただ、物を捨てるのにあまり躊躇がないおかげでとりあえずゴミ屋敷になってないだけです。

わたしは他人からはものすごく真面目な人と思われがちなので、家事なんか当然めっちゃきっちりやってそうって「イメージ」で見られるけど、やってないったらやってないです。

逆に言えば、そこまで家事に執着がないからこそ、「おうち時間」が苦痛なのかもしれんと思うぐらいです。

 

まとめ 

「家事を手抜きしてもいいよ」っていうのは、家事を必要以上に一生懸命しすぎて大変になっている人へのアドバイスなのですよね。

一般的に、日本の主婦というのは家事をしすぎだと言われてきました。

最近では、家庭にいてなんかしんどいと言ってる女にはとりあえず「家事を手抜きするべき」と言ってみる、みたいなテンプレができあがってきてるような気がするのですよ。

 

でもね。

 

真面目な女は家事をやりすぎる。

 

こういうのも、そろそろ古いステレオタイプなのかもしれないよ。

少なくとも、わたしはもう「家事は手抜きしていい」という言葉には癒やされない。

特に、コロナ禍の日々において「家事は手抜きしていい」なんてなんの救いにもならないから。

 

では、わたしに必要な言葉って何だろう。

誰かから言ってもらえるのを待ってても仕方がないので、ちょっと自分で考えてみないとなあと思いますよ。

宿題!

 

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)