あてもなく

誰かへの手紙

仕事が大変なことと、やりがいのバランス

今日の職場は、ベテランの主婦バイトさんがお子さんのインフルエンザで欠勤。

さらに、今日来ていたバイトのうちのひとりは最近採用されたばかりの新人さんだったため、なかなかのてんてこ舞いだった。

普段は、動きの良いベテランさんに商品の取りそろえやお渡しをお任せしてレジばっかり打ってるわたしだけど、今日は新人さんにいつもの定位置(レジ)をお譲りして自分が走り回る役目を背負うことになった。

 

やっぱり、自分では精一杯やっていても、上手な人に比べればモタモタしているなあと思う。常連のお客様からすれば「今日は商品が出てくるのが遅いなあ」と思われたかもしれない。

ただ、ありがたいことに、こんなにお店が混み合っていて動きがゆっくりなのに、「早くしろよ」等のクレームが出ることは一切なかった。

今日は見るからにお店の様子がいつもと違ったので、お急ぎの方は列に並ばずによそへ行ってくれたのかもしれない。

 

というわけで、わたしはいつもより何倍も体力と精神力を使って働いてきたはずなのに、今日は、疲れより充実感のほうがあっていつもよりも元気になっている感じがするのだ。

 

その理由はなんとなくわかる。

今日のわたしは、やらされ仕事ではなくて自分の頭で考えて働けたからだ。

 

わたしがやりかけの仕事をもっと早い他の人に途中で奪われてしまうこともないし、順番に片付けている待ち行列を途中で壊されて頭が混乱することもない。

お客様から見て今日のお店がどうだったかはおいといて、少なくとも、お店はわたしの思い通りに動いていた。全部自分でやるのは大変だけど、だからこそ、自分でやりきったという充実感があったのだ。

 

最も混み合う時間帯になるとインフルエンザで抜けた人の分のヘルプの人が来てくれて、その人と一緒にお店を回すことになったけれど、最初の数時間のあいだ自分一人で考えて動いていたおかげで、他の人が入っても大きく混乱することがなかった。

もしかしたら、普段ちゃんと動けなかったのは学習が足りなかったからかもしれない。

今日、無理矢理でも独り立ちして全部やってみたことで、ついに足りなかった学習が追いついたのかもしれない。そんな気がした。

 

バイトを始めて1年半。

行きがかり上ずっと、よく出来る先輩たちに囲まれて、わたしは邪魔にならないようにおこぼれの仕事ばかりやってきた。

それはきっと優しい配慮だったのかもしれないし、円滑に店を運営するためには良かったのかもしれないけれど、わたし個人の成長という意味で考えるとやはり「どうにかこうにかやってみる」ということは必要だったのだろう。

幸か不幸か、1年半の間ここまで追い込まれることが無かったため実感することはなかったが、わたしは一人で考えてなんとかできるぐらいには力を付けていたし、やればできるということがわかった。

それがうれしいから、今日は全然疲れていないんだろうな。

 

やはりある程度「任される」というのは働く上で大切なことなのかもしれない。

 

ただ、この話、きっと働く人によっては「大変なことをやらされた」って受け取る場合もあると思うのだ。

同じ時給なら、大変なことは他の人にやってもらって自分は後ろの方でラクしてる方がいいわ、っていうタイプの人もいると思う。

実際、わたしもそうだしもっとベテランの人も同じだと思うけど、毎回ひとりぼっちで走り回る羽目になったら「やってらんねー」ってなると思うんだよね。今日はたまたま突発的にひとり来られなくなったから、残った人でがんばろねってなったけど。

だから、バランスが難しいとは思うのだけれど。

 

すべての仕事を掌握している権力者からトップダウンで細切れの仕事を与えられ、自分はそれをひたすらやり続けるだけ、というのは責任が軽くてラクかもしれないけど楽しくない。

ある程度自分の頭を使って工夫しながら働ける環境の方が楽しいけれど、あまりにも丸投げだと「お給料に見合わない」ってなるよね。

とはいえ仕事の内容はハンバーガーを売ることで、目標は出来るだけ早く快適に提供すること、と決まっていてその枠の中の話なので、「お給料に見合わない」ほど任されるにはまだまだほど遠い。

だから、わたしとしては、どんどんやらせてくれた方が楽しいのにな!って思う。

 

たまには、突発的に誰かが来られなくなるっていうのも悪くないもんだ。

インフルシーズンも、ドンと来いだよ!

自分がかからないように気をつけなきゃだけどねw