あてもなく

誰かへの手紙

家でご飯を食べるということにかかる手間と、自分なりのルール

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今日は家でのんびりする予定だったのに、急用ができて思いがけず外出することになりました。

予定外の外出なので、当然夕飯の下ごしらえも、献立のアイデアもなく夕方に帰ってくることになりました。こういう時、以前だったらそのまま外食する流れになるのがほとんどでしたが、今日は帰ってからちゃんと夕飯を作りました。

といっても、クックドゥの麻婆茄子なんですけど。

いやいや、謙遜してみましたけど、こんなに疲れてるのにご飯を作ったのって偉いと思う!わたし、偉い!

 

そういえば、ネット上ではめんつゆ論争と並んで「クックドゥを使うのは料理として認められない」という意見とその反対意見が戦う場面をよく見てきましたが、そりゃクックドゥだって料理ですよねー。

 

調理の手順としては、

野菜を洗って切る→炒める→いったん皿に取っておく→

ひき肉をパラパラになるまで炒める→レトルトの調味料を投入

取っておいた野菜を戻して全体になじませる

という流れになります。

レトルトの調味料を使わなかったとすると、下線部が「レシピを見ながら何種類かの調味料を計量してボウルで混ぜ合わせておく」という工程に変わります。

それから、家でご飯を作って食べるということは、調理に使った道具や、もちろん使った食器だって自分で洗って片付ける必要があります。

洗い物とひとくちに言いますが、テーブルと流し台の間を何往復かしないとテーブルの上は片付きません。食洗機の中にセットする時に、一部の食器は軽く水で流します。

テーブルの上の物をすべて撤去したら、台ふきんでテーブルを拭きます。

 

市販の調味料を使って手抜きできているのは、これらの膨大な手順のうちの、「調味料を計量してボウルで混ぜる」という工程だけで、洗い物の数は調味料を混ぜるボウルと軽量に使うスプーンの2つです。

もちろんそれだけのことでずいぶん気が楽になるので市販品があるのはありがたいです。だけど、味付けの部分だけ市販品を使ったらもう料理と認められないとかありえないですよね。

それが家でご飯を食べるということです。

うちの今日の夕飯メニューは、

麻婆茄子、玉子スープ、トマトとしらすのサラダ、ご飯でした。

使った食器は、

メインの皿、スープボウル、サラダボウル、茶碗、箸、コップ 各3個

調理器具は

フライパン、フライ返し、鍋、お玉、ボウル2個(卵を溶いたのとトマトを和えたので各1)、炊飯器の内釜、しゃもじ、菜箸、炒めた野菜をとっといた皿、包丁、それからまな板は麻婆茄子用の野菜を切った後に1回洗ってトマトを切った後にも1回洗ったので2枚でカウントします。

食洗機に入るのは食器のみ。調理器具はすべて手洗いです。

今日はシンクの中が赤い油でベタベタになってしまったので、仕上げにシンクもざっと洗いました。

 

外出して疲れて帰ってもそのまま夕飯づくりができる体力は、パートで働いていた頃に身につけました。働き始めの頃は、10~17時の間働いたあと帰ってすぐさま休まず台所に立つことができませんでした。

実は仕事から帰って一旦座って休んでしまうと、再始動するとき却ってしんどいんですよね。それがわかったのも、体力がついてからです。

 

働いていた頃は、そうやって平日に体力を使い切っていたので、今日みたいな休日にまで頑張るのは無理でした。だから、よく外食していました。

今は平日に働いていないので、その分休日にはがんばることにしました。

 

家族はどっちかというと家で食べたがるんですよね。

家だとラクな服装に着替えて、ご飯ができるまで好きなことしながらのんびり待てるからですね。

とはいえ、それを支えるかどうかはわたしの状況次第。

ちゃんと自分から「今日は作れないから外食したい」と主張すればそのようになります。

(もし家族がそれでも家で食べたければ「手伝います」などの交換条件を出せばいいと思うけど、今まで一度もそういう風に流れたことはないからまあそういうことなんだろう)

 

外食か家か、どっちを選ぶかはその日のわたしの残りHPとか家族の状態とかをいろいろ勘案して決めます。「やらされてる」とか「誰も手伝ってくれない」と思って勝手に悲しんだり怒ったりするのが一番良くないので、そうならないために絶対に無理をしないということが大事。

「無理」の線を読み間違えてすごくしんどかったとしても、それは自分の責任なので家族に当たらない。

最近はそれでうまくいっている気がします。