あてもなく

誰かへの手紙

みんなが我慢してやってることをやりたくないというのは甘えなのか?

業務中に指示されるゴミ集めについての話を連日書いております。

 

昨日は自分の経験をもとに「ゴミ集めをやらされる仕事より、やらされない仕事の方が続くのではないか」という仮説を書きました。

書くにあたって、実際世の中にはどれぐらい、ゴミ集めが嫌で仕事を辞めたいぐらいに思ってる人がいるんだろなあと思って軽く検索してみたのですが、こんな感じだったので、ちょっと今日はその辺りを掘り下げてみたいと思います。

 

まあ、「小町」なのでアレですけどw

 

komachi.yomiuri.co.jp

 

 最近 従業員が15名程度の会社に就職しました。
その会社は 社内のごみ捨ては社員がやらなければならず、、社長やそのほか管理職の人のごみを回収し そのほかシュレッダーや 給湯室のごみなども回収し捨てないといけません。
また、トイレは清掃の人が入りますが、給湯室は清掃が入らないため、排水口のごみもとって 捨てて洗わないといけません。しかもごみ袋が高いので ゴミをいっぱいにして捨てるようにといれています。
ごみ捨ては、 一番早く退社する人がすることになっており、わたしがだいたいいつも早く帰るのでわたしがほぼ毎週やっています。
そのほか、お茶くみもあり 来客にはすべてコーヒーを入れてだしカッブも陶器を使っているので洗わないといけません。
社員がごみ捨てる会社は多くあるのでしょうか?
皆さんの会社はごみ捨て、掃除、お茶出しはどのようにされていますか?
今度、働くところは 清掃会社が入っている会社にしたいです。

どんな会社が清掃会社がきちんとはいっているか見極めるにはどうしたらよいでしょうか?

 

こういう質問です。

「嫌だ」と有り体には書かれていませんが、「今度働くところは清掃会社が入っている会社にしたいです」と書いてあることから、この人もやっぱり職場でゴミ捨てとか雑用をさせられるのは嫌だなあと思っているのですね。

 

そうすると、寄せられる答えというのは、

 

  • 小さな規模の会社じゃしょうがない(あなた、清掃業者を入れられるほど大きな会社に勤められるほどの能力あるの?)
  • わたしは苦にならないです
  • そんなことを基準に仕事選びをする人がいるなんて、びっくり!
  • 掃除を嫌がる人は人間性が卑しい
  • 昔は嫌だったけど、今は仕事があるだけありがたかったと思う

 

こういうのが多くて、自分が質問したわけでもないのにちょっと凹みましたw

小町だからね、とは思うけど、おそらくこれが世間の反応かなあとも思います。

きっと、わたしだって「ゴミのことぐらいで仕事辞めるとか言えるなんて、いいご身分ですね」ぐらいは思われているはずです。

 

でもね。

本当にこれって「仕方ない」ことなのかな?とも思うのです。

「ゴミ集めは嫌だ」という意見に対して否定的な反応を示す人の多くが「みんな嫌だけど我慢してやってるんだよ、甘えんな」というスタンスなわけで、つまり「みんな嫌だけど我慢している」という部分に関してはほぼ世間一般に通じる共通認識なのだろうなということは読み取れるわけです。

「ゴミ集めって、本当は嫌だよね」と多くの人が思っているのあれば、ゴミ集めをなくすとか、辛くない方法でゴミを処分する方法を考えるとか、もっと工夫があっていいはずだと思うのです。なんでそこで思考停止しちゃってんの、と。

実際にゴミ集めをやらされる新入りや下っ端の立場ではゴミ集めにイノベーションを起こすことは難しいでしょう。

本当は、立場のあるエライ人が考えなきゃダメだと思います。でもエライ人たちは大事なエライいお仕事で忙しいので、新入りや下っ端がゴミ集めをしているという事実にも気付かないのかもしれません。

 

ただ、「ゴミ集めなんか新入りや下っ端にやらせておけば良い」とか、ましてや「女の仕事だ」なんてことで放置されている職場だとすれば、そこはやっぱりあんまり良い職場じゃないから、そんなところでは働きたくないなーと、わたしは思います。

 

みんながやってるから、とか、みんなが我慢してるから、というだけで、嫌なことを我慢して続けるのは余り良いことだとは思いません。

というか、きっとどこかで無理になるんですよ。

嫌だと思うことを我慢してやり続ける、ということが習慣になると、人は自分で自分のことが嫌いになります。

「やりたくない」という自分の心の声を無視して、やらせ続ける張本人が「自分」なわけですから、そりゃ自分への好感度が下がりますよね。

 

もちろん、いろんな事情を天秤にかけて(労働条件とか賃金とか)ゴミ集めをする苦痛を加味してもこの職場で働くことが自分にとって必要だと思ったら、続けたらいいんですよ。

その場合、それは「我慢」や「やらされ」ではなくて能動的な選択です。

やるにしろやらないにしろ、「自分で選んでいる」という実感を持ちながら生きていきたいものです。

 

なので、仕事選ぶ時に「ゴミ集めをさせられるか否か」を重視する人がいることを、わたしは当然だと思うし、そのことで非難されるいわれはないと思います。

わたしも、今後の仕事はできればゴミ集めと縁がない仕事がいいなと思ってますよ。