ブログがなかなか書けない日々です。
が、ここではないリアルな場所で、地獄のようなペースで文章を書いたりしています。
人になんかお願いするメールとか、人になんか質問するメールとか、人に決定事項を伝えるメールとか、そんな感じ。
なんやかんやいろいろあって、わたしが今年たまたまリーダーを務めることになってしまった団体が、とあるイベントを主催することになり、そのための調整に追われているという感じ。
会って話したり、せめて電話で済むなら一瞬で終わるようなことが、みなさん本業の合間にやってることなので、全て文章でのやりとりになっちゃうんだよね。
まあ、ブログやって普段から文章を書き慣れててよかったね、って話ではあります。
その団体のリーダーは持ち回りで、通常であれば毎年ほぼ同じ事を同じようやって引き継いでいけばいいだけのカンタンなお仕事だったはずが、すべてはコロナのせいでめちゃくちゃになりました。
それでも、普通だったらコロナのせいで全部中止になって「リーダーだったのになんもできなかったね」ってなるところ、何故か「コロナに負けない」だの「こんな時だからこそ、できることを」とかいうものすごい前向きな潮流が生まれてしまい、気がついたら、たまたま今年リーダーだったわたしに、わけのわかんないイベントの主催者というたすきが掛けられていました。
途中からこのことを知った人には、
「なんで、こんなことやることになったんですか」
「ていうか、なんであなたがそれをやらなきゃいけなかったの」
と、聞かれます。
過去に例のない取り組みでもであり、イベントの目的や趣旨が外部にはうまく伝わってない部分もあって、本当にやる必要があったのか、やったところで何か意味はあるのか、と言いたい人は結構いて、そういう人たちは前者の質問をしてきます。
後者の質問は、断ればよかったんじゃないのか、あなたの立場なら断ることもできたはずなのになんで逃げなかったのか、やめときゃいいのにようやるわ、というぐらいの感じでしょうか。
そして、一緒にそこに巻き込まれて仕事をしている人の中にも、
「大変にならない程度にやりましょうね。そもそもこのイベント自体、やってもやらなくてもいいことなんだから、適当に、出来る範囲でやりましょうよ」
って言ってくる人、いるんだよね。
最初はわたしも「そうだよね!」って思ってたんですけどね。
結局、気がつけばその人が「大変」になりたくない分、わたしが見えないところで頑張ってるみたいなことが増えてしまって。
だってさ「そこまでしなくてよくない?」って言われてもですね、そこまでしとかないと結局後が大変になるんです。
人に言わせりゃわたしは「心配性」らしいんですが、別に根拠無く不安がってるわけじゃないんですよ。
ただ、今、目の前にあるいろんなファクターをもとに、この先どうなりそうか、何パターンもシミュレーションしたら、明らかに潰しておかなければならない問題点がおのずと見えてくるものでしょう? 想定外のトラブルはともかく、起こる前からなんとなくわかってることぐらいは潰しておきたいじゃん。
わたしはそうやって今まで生きてきました。
まあ、それが心配性だって言われればソレまでですが。
「そうなったときはそうなったとき」
「問題が発生した時に対応すればよい」
という豪胆な方もおられますが、わたしは心が弱いので「問題が発生した場面で平静を保つ」ということがとても難しいのです。
後から実際に発生した問題に対処すれば良いと考える人にとっては、わたしの「転ばぬ先の問題点潰し」は取り越し苦労というか、無駄な努力に見えるでしょう。
だから「そこまでしなくてもよくない?」って言われてしまうし、「そこまでしたいなら勝手にやってね」ってなる。
本当はわたしだってみんなのためになることをやっているんだし、みんなその恩恵は受けてると思うんですよ。でも、起こる前に潰しているから、結果としては「なんも起きなかった」ってことであんまり感謝されないんですよね。
むしろさ、トラブル起こるのわかってても放置して、トラブル起こってから大活躍で対処した人の方が仕事が出来るっぽくて格好いいのかもしれないよね。
でもわたし、それはできないからさ。わたしはもともとヒーロー体質ではないのです。
そんな盛大な愚痴が、日々降り積もっております。
が、それでも、断ればよかったのにとは思わない。
わたし以外にはできなかったと思うので。
どんな結果に終わったとしても、
「わたしが今年のリーダーで、おまえら運がよかったぜ」
って思いますよ。自己満足でも、誰にも言われなくても自分で言っとこ。
ま、できれば成功で終わるといいですけどね。
結果は2週間後!