あてもなく

誰かへの手紙

人から口出しされるのが苦手な人の子育て

昨日、子供の食べ残しを親が食べるべきかどうか、みたいな話を書きながら、子供が小さかった頃のことを思い出していた。

 

 

うちは実家から遠く離れた場所に住んでいて、基本的に夫婦二人きりで子育てをしていた。わたしは専業主婦で、夫は仕事が忙しくて帰りも遅かったから、今の言葉でいえば日中ワンオペで育児をしていたわけだけれど、当時はそんなことが世間で問題にされるようなこともあまり多くはなかったので、全くもって「そんなもんだ」と思って暮らしていた。

当時を振り返って「こうだったらよかったのに」などと思うことはあまりない。どっちかというと、放っておかれてよかった、という気がしている。

そのときそのときで大変だったし、それなりにしんどかったと思うけど、済んでしまえば、その都度なんとか生き残ったなあという感じ。

ほとんど問題は、答えが出る前に子供が成長してうやむやになるという形で解消してしまうことばかりだった。子育てというのは、とにかくそれまで親子とも生きていれば合格、という性質のものなのかもしれない。

 

わたしは、子育てを含め、家族の身の回りのことや家の中のことを全部一人でやらなきゃいけないことも、それについて口に出してありがとうだとかいちいち言われないことも、全然なんとも思わないけれど、そんなことよりなにより、どっちでもいいようなことで人からあれこれ指図されるのが大嫌いだ。

昨日話題にした「子供の食べ残しを食べるかどうか」を例に取ると、わたしには「食べ物を捨てるなんて考えられない」とか「親のくせに子供の食べ残しが気持ち悪いとは何事」とか言ってくる人が身近にいなかったのが何より自分にとってラクだったんだと思う。

 

わたしより5年ほど後に子供を産んだ友達がいて、彼女もウチと同じように実家から離れた土地でワンオペ子育てをしていたため、わたしが相談相手……というか愚痴聞き役になっていた時期があったのだけど、彼女はしきりと、

 

「人間は本来ひとりで子育てするようにはできていない。昔は、親兄弟をはじめ親戚ぐるみで一緒になって子育てしていたのだし、それが正しい姿だと思う」

 

ということを力説していた。

たとえば、若い働き手が農作業に出ている間は、家に残った老人が赤ん坊やら幼児をまとめて面倒見てる、みたいな、集団での子育て。

そんな世の中であれば、子育ての重責をひとりきりで背負うこともなく、現代のように育児ストレスで心を病む人も少なかったに違いない、と。

 

それを聞きながら、なるほどねーと否定もしなかったけれど、実はわたしはそんな生活はちょっと嫌だなと思っていた。

人それぞれだからいいんだけど、わたしだったら、色んな人が手も口も出してくる子育ては、無理かもしれない。

一人育児の心細さなんかよりも、誰か(特に、上の立場の人)にやいやい言われる方が苦手だわ。

心細いったって、本当に困ったときは医療機関や公的機関もあるわけだし、しかるべきタイミングで専門家にサポートを求めればどうということもないと思う。

 

これは本当にわたしの生存バイアスともいえる主観なので、もちろん無理なモノを一人で抱え込んで沈没してしまうことを推奨しているわけではないんだけど、世の中には、ひとりで子育てをするほうが気楽、というタイプの人というのもいると思うんだよね。

手や口を出せる人が複数いる状態での子育てを「良し」とする風潮、ひとりきりでの子育てを「ワンオペ」と呼んでかわいそうなもの扱いする風潮が最近は強くなってるけれど、子育てって、本当にみんながみんな、身近な誰かと一緒にやらなきゃならないもんなんだろうか?

 

もしかしたら、本当は全然平気なのに、それら世間の風潮と見比べて、実家が遠いこととかパートナーが子育てに参加しない(できない)境遇の自分をみじめだと感じてしまってる人もいるかもしれない。

ひとり子育てが向いてる人であれば、ワンオペも一概に解消しなきゃいけない類の状況でもないんじゃないかしら。

 

なかなか同意されにくい意見だとも思うし、時代に逆行しているような気もするけど、おひとりさま好きのわたしはちょっとそんなことを考えました。