ブクマでちょっと前に気になった記事から。
働く妻か専業主婦か、また子供の有無によって生じる「幸福度格差」について書かれた記事。
統計的な手法を用い、さまざまな個人属性の影響を除去した結果、幸福度の大小関係は以下のとおりとなった。
子どもがいない専業主婦>子どもがいない働く妻>子どもがいる専業主婦>子どもがいる働く妻
この結果には興味深い点が3つある。
1つ目は、子どもがいない専業主婦の幸福度が最も高い反面、子どもがいる働く妻の幸福度が最も低くなっている点だ。子どもがいない専業主婦の場合、育児負担がないため、幸福度が高くなっていると考えられる。これに対して、子どもがいる働く妻の場合、仕事を抱えているうえに、家事・育児負担を一手に担うため、幸福度が相対的に低くなっていると考えられる。
2つ目は、子どもがいない働く妻の方が子どもがいる専業主婦よりも幸福度が高くなっている点だ。子どもの有無を考慮しない場合、専業主婦の方が働く妻よりも幸せだとしか判断できなかったわけだが、子どもの有無を考慮すると、幸福度の大小関係が変化する。働く妻の方が専業主婦よりも幸せとなる場合があるのだ。
3つ目は、子どもの有無によって幸福度が大きく影響を受けている点だ。分析結果から明らかなとおり、子どもがいる既婚女性ほど、幸福度が相対的に低くなっている。つまり、子どもの存在が幸福度を押し下げている可能性があるのだ。おそらくこれは、子育ての負担が女性に集中し、その負担が子どもを持つことの幸せを上回ってしまうためだと考えられる。
興味深い点3つと書いてあったので長めに引用したが、要は
「家事をしながら外で働くのはしんどい」けど「子供を育てるよりは外で働いた方がまし」で「家事をしながら外で働き、さらに子供を育てるなんてありえない」
という話なのかなあと思う。
まあ、そうなのかもしれないよね。
この後さらに、働く女性の雇用形態によって幸福度に差が出るかについても触れてあったが、あまり差はなかったらしい。
そして、専業だろうが兼業だろうが、子供の数が増えるとどんどん幸福度が下がるそうだ。
なんとも、身も蓋もない話である。
子供を育てるには、親となる人個人の幸福を犠牲にする必要があるということだ。
この調査は女性のみが対象だが、男性だとどういう結果になるんだろう。
気になる。
さて、ここからは、わたしの個人的な話をする。
わたしはいわゆる子育て期をほぼほぼ卒業している状態で、いわば喉元過ぎて熱さを忘れた人間である。子供が小さかった頃はいつも、大変だなあ...と思っていたし、たくさん悩んだり困ったりしていた。と、思うがもう当時の痛みを思い出すことはできない。
ただ、わたしは「子供がいなかったらもっと幸せだっただろうな」と思ったことは一回もない。
多分……幸福度の格差が出たとはいえ、現状が子持ちで「あまり幸せではない」と答えた人でも、では子供がいない方が幸せだったと思うか聞かれたら、それは違うって答えると思うんだよね。(そうであってほしいという願望?)
変な話、わたしは子供がいなかった頃から、それほど自分の時間を自分の為に使っていなかった気がする。キャリアを積んで上を目指すとか、容姿を磨いて美を追究するとか、そんな意識が全くないし、のめり込むほど大好きな趣味もなかった。
だから、子供を持ったことで自分の為の時間やリソースを犠牲にしたという意識を持たずに済んだのかもしれない。
子供がいない方が幸福度が高いとされる、その、人々の「幸福」とは何なのか、人ごとながら気になる。そういう「自分だけの宝物」を持っているのはうらやましいじゃないですか。
一方で、その宝物を子供のために棚上げにしたり過去に置いてくるような経験をしないで済んだわたしは、持ってなくてラクだったのかもねとも思う。
子供を成人になる年まで育てることが育児だとすれば、わたしの目の前にいる我が子はほぼ結論に近い状態だ。今のわたしにとって、目の前にいる我が子より大切な宝物などないので、わたし一個人としての人生は「これでよかった」という感想以外ありえない。
さて。
昔から子供なんか全然好きじゃなかったわりに、わたしはどこかで「自分は必ずお母さんになる」と思い込んで生きてきたフシがある。
(ちなみに育児の向き不向きと子供好きかどうかって全く関係ないと思う。これはまた別の機会に書きたい)
それはひとえに教育の賜物のような気がする。学校教育の?それとも家庭教育の?
なんというか、社会の雰囲気が全体的にそんな感じだったんだよね。
もしかしたら最近の人には不思議に思われるかもしれないけれど、昔の女児は、大きくなったら何になりたい?って聞かれたら多くが「お母さん」と答えたのだよ。(今は「お母さん」と答えても、「お母さんは仕事じゃないよ。なんのお仕事する人になるの?」とか言われてしまいそうだよね。知らんけど)
それぐらい、お母さんになるのって当たり前だったし、憧れだったのだ。
そして、どうせお母さんになるんだから、勉強なんかそこそこでいいし、ましてや仕事なんて腰掛けでいいんだよって。
そうやって、女性は自分だけの宝物を持つことから遠ざけられてきた時代があった。1975年生まれで大卒のわたしですらその影響が色濃くて、おかげさまでわたしは育児によって失うものもほとんどなかった。
だけど、現在では女児に対してそういった刷り込みをすることは、かなり「良くないこと」とされている。
わたしだって実際子供に「あなたもいつかはお母さん♪」なんて刷り込みは一切してこなかったし、それどころか、まさに娘が自分だけの宝物を持てるように最大限サポートしているところなのだ。
だけど、そういったことをみんなで推進してきた結果「子供を持つと相対的に不幸になる女性」が増えていて、それによって少子化という問題が起きていて困る、ということであればそれってどうやって解決すれば良いのだろうか。
日本の女性が直面する現状は厳しく、子どもを持つことが必ずしも幸福度の向上につながっていない。これがさらなる出産の抑制につながっている可能性もあるため、このまま放置することはできないだろう。
対策として求められるのは、夫婦間の家事・育児負担の格差是正等を通じた女性の子育て負担の軽減だ。これを達成することによって、子どもを持つことによる幸福度の向上を図り、それがさらなる出産に結び付くといった好循環を形成していくことが望まれる。
記事はこう締めくくられている。
だが正直言って、
えっ、家事・育児負担の夫婦間格差是正なんかでなんとかなるん?
つまり、夫がもっと家事育児を負担すればそれで大丈夫なん?マジで?
って気持ちは拭えないのであった。