あてもなく

誰かへの手紙

どんな子供が生まれてくるかって、そりゃもう時の運よね



はてなブックマークをぼーーんやり見ててなんとなく目に留まった記事(まとめ)。

 

togetter.com

 

炎上覚悟で言うけどさ。

子ども産まれるまで
自分の子どもって芦田愛菜ちゃんみたいな聞き分けのいい子どもが生まれてくると思ってたー笑!!!
あはは!!!!

 

というか自分の子を育てるまで芦田愛菜ちゃんの凄さにちゃんと気付けなかったよ!世の子供はだいたい芦田愛菜だと思ってたよ!!

 

そうそう、それね!!!

彼女の本当の凄さに気づいていなかったね!!!

ただ顔が可愛いだけじゃなかった……。

 

というような、Twitter上のやりとりがまとめられた記事でした。

これ読んで、マジかという気分。

どうなのかな、世間の人たちって自分が子供だった頃の記憶とかあんまりないのかな。わたしはどっちかといういろいろ覚えすぎてて気持ち悪いと言われてしまうほうなので、きっとわたしの方が変なのかな。

 

ていうかさ、子供の頃、周りにいたのってクソガキばっかりだったじゃないですか(失礼)

逆にさ、芦田愛菜ちゃんみたいな子、いた? ひとりもいなかったよね!?

幼稚園から小学校、下手すりゃ中学ぐらいまで、わたしはいつも周りの野蛮なクソガキどもにおびえながら生活していたので「子供はみんな聞き分けが良くてお利口」なんて勘違いをする余地がなかった。

 

先生が「はい、集まって~」って号令を掛けたって、いつまでも走りまわって座らない子。

先生が「静かにしてね」といっても、大事そうな話が始まっても騒ぎ続ける子。

話を聞いていなかったから、案の定次の活動にスムーズについていけない子。

乱暴で、なぜか隣に座っている子供(わたし)をいきなり叩いてきたりする子。

 

そういうのを見て、アレは何なんだ!?一体どうなってるんだ?!と思っていた。

たまりかねて、親に尋ねたこともある。

 

「どうして、ちゃんと言うこと聞けない子がいるの? 言うこと聞いたら早く済むのに」

 

親の答えは。

「生まれつき、色んな子がいるのよ」

だった。

 

わたしは今となっては平々凡々の凡人であるが、子供の頃はだいぶ利発で聡明な子供だったのかもしれない。

当時、そうやって親に聞いたり、周りを観察したりして悟ったのは、

「どんな子供が生まれてくるのかは、完全なガチャなのだ」

ということだった。

 

自分は周りに比べれば聞き分けが良い方ではあるけれど、それでも時々自分の気持ちのコントロールがきかなくなってダダを捏ねたり、小さな事にこだわって物事をややこしくしたり、人を傷つけることを言ってしまったりする。

だから、親はわたしみたいな子を育てるのだって、それなりに大変そうにしているじゃないか。だったら、クソガキの親はもっと大変に違いない。

そう、子供ながらに考えた。

 

そのことをずっと覚えていたので、わたしはずいぶん長いこと

「自分には子育ては無理だな。クソガキを引いたら育てられる自信ないし」

と思っていたし、子供はずっと苦手だった。(今もちょっと苦手だ)

小さい子供たちが、わらわらと遊んでいるのを見て「かわいー」と言える、「子供好き」の人たちを違う生き物のように思っていた。

 

そんなわたしが、なんで自分の子供を育ててみたいと思ったのかは、ちょっとナゾだ。その辺、未だに解明できてないんだよね。

頭で考えた結果ではないことは確かだ。

ただ、今は子供を育ててみて良かったと思っているけれど。

 

ウチの子は、とりあえず野蛮なクソガキではなかったので助かったが、一方で独特の難しさがある大変育てにくい子供だったから、それなりの苦労はあった。

ああ、そうか。

わたしは自分で自分の事を利発で聡明な子と思ってたけど、もしかしたら、親から見ればわたしだって独特の難しさがある育てにくい子だったのかもしれないなあ。

 

というわけなので、

「芦田愛菜ちゃんみたいな子が生まれてくると思ってた」

に共感する人たちがそれなりに盛り上がってて、わたしはだいぶびっくりしたのでした。

 

↓ なんとなく、自分の子供の頃を思い出すお話

 

私以外みんな不潔