あてもなく

誰かへの手紙

続・子供の金銭感覚を育てるにはどうしたらいいのか



昨日は、わたしの金銭感覚の元になった体験の話を中心に書いた。

「お金を使うときには、それが自分にとって本当に金額通りかそれ以上に価値があるかどうかを考えよう」、という話である。

しかし、これだけでは、最初に引用したツイートに出てくる娘さんみたいにならないようにするにはどうしたらいいのかという問題の答えにはならないような気がしてきた。

 

なぜなら、あの娘さんにとっては、

友達と遊ぶための交通費も、

カラオケ代やタピオカ代も、

かわいい服や化粧品も、

アイドルを追っかけるための諸々の費用も、

全部「それだけの価値がある」ものに違いないと思うから。

 

わたしのしょーもない「キン消し」の思い出とは次元が違うのである。

 

欲しいものを我慢させるのって難しいよね。

お金がないから、と我慢させると今度はお金への執着が強くなるし。

自分で稼げばお金のありがたみがわかる、とバイトを勧める向きもあるが、案外それは諸刃の剣のような気がする。

高校生ぐらいがまともなバイトをして稼げるお金はたかがしれている。

学校やその他活動の合間を縫って働いて、やっとのことで得たお金も、ちょっとした楽しみのためには一瞬でなくなってしまう。その時に果たして「お金って大切なんだなあ、ありがたいなあ」って思えるかどうか。

ひょっとしたら、その「ちょっとした楽しみ」よりもむしろ「労働」の方をバカバカしいと感じてしまうようになる危険性がある気がする。

 

やはり、欲しいものを我慢させるというよりは、何でもかんでも欲しがらない仕組み作りというのが大事だと思う。

例のツイートばかり引き合いに出して申し訳ないが「私立中学に入ったらものすごくお金がかかるようになった」という話だけど、私立学校に行ったからそうなったというよりは、幼少期から小学生時代のうちにはすでにその金銭感覚や価値観というものは育っていたんじゃないのかな。

 

わたしは「小学校時代から出してあげてたアイドル代」っていうのが結構ヤバいと思う。

いろんなオタク趣味全般にいえることだけど、追っかけ行動にかかるお金って聖域化しやすいよね。脳内予算委員会の会議で「高いか安いか」「本当に価値があるのか」など審議されることもなく「そりゃしょうがないよね」で通過してしまうような。

ただ「欲しい」というよりは、「今しか買えない」「今しか見られない」機会を逃すこと自体が追っかけ対象への忠誠心や信仰心の欠如の烙印となって、人からどう思われるかよりそれ以上に自分の中で自分自身の存在価値が揺らいでしまうから。それはその人の中で会議に掛けるまでもない「絶対にどうにもならない出費」になる。

アイドルビジネスっていうのは、そこを突いた搾取の構造でもあるわけですが。

テレビとかで見たりたまにCDを(複数枚とかではなく普通に1枚)買ったりする程度だったらいいけど。たとえば、グループ名やその人の名前が適当なフォントで印刷されてるだけのプラスチック片に1000円とか、もったいないとも思わず出せるようになってたら、それはもう依存症だと個人的には思う。

子供は、いきなりそんな風に育ったりはしないと思うなあ。

その出費に「しょうがない」と理解を示したのはきっと親御さんだよね。Twitterのプロフにも「アイドル好き」って書いてあるもんね。

 

例の娘さんは、そういう「しょうがない」出費に幼い頃から慣れてしまっていたから、中学に上がって大事な友達が出来たとき、お付き合いにかかるお金についても同じように、これは自分の存在価値に関わる出費なのだから「しょうがない」と思い込んでしまったのではないか。

その金額がシャレにならなくなったから親御さんは慌てているのかもしれないけど、そういう風に育てたのはあなたではないのか?

そんな風にわたしは感じました。

 

大事な友達と時間を過ごすために、ちょっと遠くの街へ遊びに行ったり一緒にタピオカ飲んだりしたい。

そう思うことは、もちろん非難されるようなことではない。

ただ、そのためにどれぐらいお金を使うのが適切か、本当にそのお金をかけなければ友達関係は成り立たないのか。

そこまでお金をかけなくても楽しめることって、ほかにはないのかな?

など、考えるべき事はたくさんある。

つまり、良くないのは、思考停止だと思う。

 

ということはやっぱり、小さい頃からちゃんと「お金はよく考えて使う」ことを意識させることが大事だ、ということになるのかな。まずは、親がお金に対して思考停止になっている姿を見せないこと、ちゃんと考えてすべての出費を説明できるぐらいの心構えでいることが大事なのではないか、と思いました。

 

ということはやっぱり、わたしには「キン消しショック」が必要だったのだろうし、当時そうやって親がたしなめてくれたおかげで今があるのかもね。