あてもなく

誰かへの手紙

続・「胸が大きい人」を起用した広告について



わたしは、広告などにおいて「人目を引くために大きな胸を利用する」ことが気軽に行われる風潮がなくなればいいのにと思っている。

これが昨日書いた結論である。

 

わたしは、胸の大きなモデルさんなりキャラクターを広告に利用することは、鯉の池に餌を撒くことと似ていると思う。

鯉がたくさん泳いでいる池に餌を撒くと、わーーーーっと鯉が集まってきてバシャバシャと水しぶきが上がってちょっとした騒ぎになるでしょ。

「大きな胸」は餌で、たくさんセクハラコメントを寄せるのは池にいる鯉たちだ。

もし鯉に「餌」扱いされたくなかったら、胸の大きな人は池に近づくときその胸を隠さなきゃいけない。

 

セクハラコメントを書き残していく奴らだけが悪いのか。

餌を撒く側(広告主)に責任はないのか。それは違うと思う。

広告主が撒いた餌=大きな胸に惹かれて集まってきた人たちが「おっぱい」と騒ぐことだけを今さら急に叩いたって、多分なんも変わらない。

むしろ、わたしは大きな胸を餌にしてきた側の責任の方が重いと思う。

 

それに対して、

「たまたま胸の大きなモデルさんを起用したらたまたまセクハラコメントがたくさん集まっただけなのに、そのことにまで広告主が責任を負わなければならないのだとしたら、今後は胸の大きなモデルさんに仕事を頼むのは難しくなるよね、そうすると、胸の大きなモデルさんは仕事できなくなるよね、胸が大きいだけなのにお仕事できなくなるのってかわいそうじゃない?それでもいいの?」

っていう意見を見たんだけど、その言い方はすごい卑怯だと思う。

そういう言い方で「フェミニスト(ツイフェミ)VSモデルさん」みたいな女同士の戦いという図式に収めてしまおうとしている。

 

広告主は、大きな胸を餌にして鯉の池に撒き続けていた。

池の鯉たちは大きな胸を餌だと認識して「おっぱい」って騒ぐように刷り込まれてきた。

でも、わたしの胸は大きいけど餌じゃない。だから、わたしは胸を隠す。

集まってくる鯉も怖いけど、大きな胸を餌として使い続けようとする存在も同じぐらい罪深いと思う。

 

わたしはそんぐらいのことを、宇崎ちゃんのときも茜さんのときも思いました。

 

最近の流れを見ると、わたしの意見は少数派のようにも見える。

特に茜さん本人やその他、一般の胸の大きい女性たちが「わたしの胸を否定しないでください」と出てきた辺りから、わたしのような考え方はずいぶん分が悪い。

大きい胸を広告から排除しろというのは多様性の否定だ、女性差別を批判するように見せかけて実は胸の大きい人を差別しようとしているのではないのか、と言う。

 

どんな形大きさでも、誰もが自分の胸を恥じないで生きられる世の中になってほしいと思っているのは、わたしもあちらも同じだと思うんだけどね。

なかなかその辺難しい。

 

だけど、まあ、急にみんなの考えがひとつにまとまるようなことはありえないと思う。

ただ、ひとつひとつのことに「それってどうなの」って疑問に思って言葉にしていくことは大事だし、それで少しずつ世の中が前進していくということはあると思う。

その証拠に、昔に比べて今はずっと良くなってると思うから。

だから、これからも「それってどうなの」ってことは頑張って書いていこうかなと思ったのでした。

まとまらなくてごめんなさいね。

 

というわけで、話はちょっと逸れるけど、「今はずっと良くなってる」の例になりそうな話をちょっと書いて終わりにしたい。

 

先日、テレビでこういう番組をやってたのを見てました。

 

www.tbs.co.jp

 

戦後からの歴代のヒット曲を販売枚数のランキング形式で振り返るみたいなやつ。

 

この中で、昭和40年代終わり頃に流行った歌が紹介された。

アイドル的な人気もあった女性歌手いしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」って歌だ。

曲が紹介されただけでなく、当時の貴重映像として、いしだあゆみさんがドリフの「全員集合」に出演したときの映像も流された。

その出演シーンの内容がこちら。

 

お医者さんごっこみたいなコントで、ドリフのメンバーが白衣でお医者さん、いしださんは本人として患者さんの設定なのね。

チョーさんがいしださんに「バスト何cm?」「ヒップは?」とモロな質問をする。

いしださんはそれに1cm単位できっちり答える。

その数字聞いてチョーさんがニヤニヤしながら「なんだ~、寸胴だな!」と言い、会場がドカンと大ウケ。

そんな流れだった。

 

こりゃひどい、と思った。

今だったら、こんなの絶対ダメだよね。

女性の芸能人を舞台に上げて身体のサイズを聞くなんてありえないし、その体型を指してみんなで笑うなんてもっとありえない。

紹介されたシーンはわたしが生まれる前の映像だけど、わたしも物心ついてから番組終了まで「全員集合」を楽しみにして見てた記憶があるので、「え、ドリフってこんなんだっけ」軽くショックを受けた。

一緒にテレビを見ていた子供に至っては「こんな番組が人気だったの?ホントに?」とドン引きですよ。

 

でもね、これを見て思ったんです。

今も変わらずセクハラ行為はなくならない感じがするし、声を上げても場合によっては「お気持ち」などと言われて否定されたり、なかなか変わらない、良くならないことだらけのようにも思えるけれども、こうして40年前を振り返れば、今はずいぶんと個人の尊厳が大事にされるいい時代になったもんだよな、と。

わたしのように古い時代の文化の中で育った人間でも感覚はちゃんと更新されているし、子供世代の若い人たちの価値観はすっかり様変わりしている。

ということはね、きっと、歴史上の人物として名は残っていなくても、世の中に、おかしいと思うことには「おかしい」と声を上げ続けて、自分から行動を変えてきた無数の人がいたんだろう、と、そういう人たちの力で、ゆっくりゆっくり世の中や空気が変わってきたのではないかと思ったのです。

だから、わたしも小さいながら声を上げ続けていかなきゃいけないなあ、と。

誰かを論破したいとかそういう意図ではなく、ね。

 

そのために、難しかったけど昨日・今日とちょっと頑張って書いてみました。

書き切れなかったことのほうが多いけど、とりあえず以上です。