料理教室に行ってみようと思った理由
最近、自分の作る料理がマンネリ過ぎてうんざりしていました。
わたしはいつも、時間とお金の節約のために、向こう5日分ぐらいの献立を考えてそれに合わせた材料をまとめ買いするようにしているのですが、この「5日分の献立を考える作業」がとても苦痛なのです。
献立カレンダーはノートに書いているので、そのまま記録として残っています。
献立を考えるときはいつも、そのノートをめくって過去の献立を参考にしながら、あまり短いスパンで同じ献立が巡ってこないように工夫して献立を組むのですが、記録が残っている分余計に「またか...」感が否めず、「作る前から飽きている」現象が起きて、買物に行く前からうんざりしてしまうのです。
そんなマンネリを打開すべく、先日、ネットで見つけた料理教室に行ってきました。
海外や国内の専門学校で修行した料理家の先生が自宅で開いている、ちょっとおしゃれな教室です。
作ったのはイタリアンで、前菜・パスタ・メイン(肉料理)・デザート、の4品。
そんな教室に行ってみての、正直な感想は、こちら。
案外、普通だね
のっけから、すみません。
非常に失礼ながら、最初に思ったのは、「なんや、案外普通やん」ってことでした。
仕上がった料理は美味しかったけど、どれぐらいかっていうと「普通に美味しい」のレベルです。
途中教えてもらったコツ的なものも、これまでの経験上知っていたことがほとんどでした。なるほどと思うこともありましたが、何というか「目から鱗!」ほどの情報はありませんでした。
先生が海外で勉強してきた知識を活かしたレシピでありながら「近所のスーパーで普通に手に入る食材で」「簡単なのに美味しい」というのがコンセプトなので、「案外普通」なのは当然といえば当然なのですけどね。
せっかく時間とお金を使って先生に習いに行くからには、今まで全然知らなかったことを知ってびっくりしたい、そんな知識欲がわたしはわりと強い方なんだと思います。
一方で、習ったことは実際に自分の暮らしの中で活用したいという実用面の要求もあるわけですから、両方満たすバランスというのは難しいものだと思います。
どっちかっていうと、わたしが感動とか刺激を求めすぎているのかもしれないなあ、とも思いました。
あと、わたしは自分ではあまり料理が得意なほうではないと思っていたけれど、他の受講生の様子を見ていると案外わたしは料理が出来ない方ではないのかもしれない、と思ったり。
主婦になって20年、なんだかんだ言いながらほぼ毎日人に食べさせるご飯を作り続けてきたわけですから、それなりに腕前は上がっていたのかもしれないです。
おかげで少し自信がついたので、その点は良い気付きであったのかもと思いますが、そうすると、習う必要あるかしら? と。まあ、そんな事を思ってしまったわけです。
とにかく、めちゃくちゃ疲れる
料理教室に行った日、家を出たのが10時で帰宅したのが16時過ぎでした。教室にいたのは、レッスンと試食タイムを合わせて正味4時間半ぐらいでしょうか。その間ほぼ立ちっぱなしで作業をしたり説明を聞いたり。普通のお宅なので駐車場がないため、電車と徒歩で往復します。
その日はとても暑かったので、まず、肉体的にかなり疲れました。
その日のレッスンは、先生1人に受講生は3人という構成で行われました。わたし以外の受講生は前から通っている生徒さんで、わたしだけが他のメンバーと初対面という関係です。みんな明るくていい人たちだけど、まあ、気疲れしますわよね。
しかも、帰ってしばらくしたらまた普通に今日の家族の夕飯を作らないといけないわけで。
試食で結構お腹いっぱいな上、体力的にも精神的にも消耗した状態で夕飯を作るのは、かなりの苦行でありました。
お腹を空かせて帰ってくる家族にはそんなこと関係ないので、頑張って作りましたけれども。
もう行かない?また行きたい?
と、まあ、上記のような感じだったので、教室に行ってから2~3日ぐらいは「もう行かなくていいかな」って思っていました。
でも、1週間ぐらい過ごしているウチに、少し考え方が変わってきました。
もしかしたら、思ったより勉強になってるかもしれない、、やっぱり行ってみて良かったんじゃないか、、と。
例えば。先生のお肉の焼き方が、わたしが家でやってたやり方と少し違っていたので、その後自分でお肉を焼くときに先生のやり方を真似して焼いてみたのですが、そうするとやっぱり今までよりも美味しく焼けるようになった気がする。
また、普通にスーパーで見かけるにもかかわらず、自分的になじみがなくて全く使ったことがない野菜を自分の献立にも取り入れてみようという気持ちが生まれたり。
これってつまり、マンネリ脱却という目標に向かって地味に前進しているってことではないでしょうか。
何も知らなかった何もできなかった子供の頃とは違って、今は色んな事を知っているし、大抵のことは「普通に出来る」状態で生きているわけです。
そういう大人が、少し習ったからといって一発で響き渡るような体験が出来ると思う方が欲張りなのかもしれません。
少し時間が経って、見たこと聞いたこと感じたことがだんだん自分の中にしみ渡ってきて初めて、あれが変化のきっかけだったのだなと再確認するようなこと。
大人の「学び」ってそういうものなのかもしれないなあ、と思いました。
というわけで、今は、来月も同じ先生のところに行ってみようかなって方に心が傾いています。
今度は、もう少し疲れないようにいろいろ対策してから行ってみようと思います。