あてもなく

誰かへの手紙

出し惜しみしない、昼ご飯

 

我が家では、夫がテレワークをやり始めたのも世間から比べるとかなり早く、この生活を始めてからほぼ2ヶ月になる。

今ではもう、このままこの生活が永遠に続くんじゃないかぐらいに、暮らしの「型」みたいなものができあがってしまった。

とはいえ、本来はこれは「非常時」の対応である。

どんな形になるかはまだわからないけれど、いつかは終わる。

この自粛生活が抜けたら、きっとまた次の生活に向かっていくときには暮らしの型をイチから作り直さないといけなくなるんだろうな。

まあ、もともと生活というのはスクラップ&ビルドの繰り返しである。

入学したり卒業したり、クラス替えがあったり、引っ越したり、仕事が変わったり……。

案外、人は「変化に対応する」ということについては幼い頃からじっくり訓練されてきているのかもしれないなあって気がする。

 

今回の「スクラップ」は、今までにない形でかなり暴力的に襲ってきた。

そのせいかどうかわからないけれど、おかげさまで「ビルド」はかなり根性が入ったモノに仕上がってきている気がする。

わたしは案外逆境に置かれるほど燃えるタイプなのかもしれない。

 

という流れで、昼ご飯の話になります。

朝食と夕食は、こうなる前からずっと毎日全員分を作ってきたのでまあいいとして、やはり生活が変わって一番しんどく感じたのは昼食のこと。これは、家族の食事を預かる立場の人なら全員が感じているしんどさだと思う。

 

お昼ご飯って、なんか「できるだけ手間をかけないものでなければならない」っていう決まりがあるみたいに考えてるとこないですかね? わたしだけかな。

昼飯なんかちんたら作ってられるか、と。

一人で食べる昼ご飯なら本当にカップ麺かたまごかけご飯か、みたいになっちゃうし、家族で食べる時だってできるだけ手間が掛からず簡単に済むモノが良い。

後片付けや洗い物の手間を省くために、麺類とか丼物のようなワンプレートにまとまるメニューがいいし、調理器具も最低限しか使いたくない。

あと、ワンプレートでもカレーライスとかオムライスのように我が家では夕飯用のメニューとして認められてる感があるメニューについては、なんだかもったいない気持ちになってしまうから、あんまり昼に出したくないなって。

 

だけどね、毎日毎日お昼ご飯を作る生活が続くと、「手間が掛からない」「ワンプレートで済む」「夕飯ぽくない(=もったいなくない)」という縛りが逆に窮屈になってくるんだよね。

そんな制約を気にしていたら、あっという間に昼ご飯のレパートリーが尽きてしまう。

もちろん、それなら気にせず「丼」「パスタ」「うどん」をぐるぐるまわすのでも良いのかもしれないけど、それだと自分も飽きちゃうし。

 

なので、最近わたし、お昼ご飯にもメニューを出し惜しみしないことにしたのです。

どっちみち、家にずっといてそんなにたくさんやることもないんだから、包丁やまな板も出せばいいし、鍋やフライパンを複数使っても、材料をたくさん使ってもいい別にいいんじゃないかって。

そんな感じで「昼ご飯らしさ」の縛りを外したら、逆に献立を考えたり調理したりするのが楽になりました。

とにかく、昼ご飯だからって変に「手間を掛けない」ことにこだわらなくても良いのだ。

こういうのも「開き直った」っていうののウチに入るのかな。

 

 

こんな感じで、開き直ってよく料理をするようになったので、なんか最近また料理の腕が上がったような気がする。

人はいくつになっても成長するのだな。

もしかしたら、今後はちょっとした普通のゴールデンウィークや正月休みなんか怖くなくなっちゃうかもね。