あてもなく

誰かへの手紙

掃除ってキツいよね 闇落ちリスクの高い仕事だと思う

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うちの洗面所は、朝、家族みんなが出かけた後に見るといつも大変散らかっています。

コンタクトレンズの消毒液や保存ケース、外しためがねもそのまま洗面台に放置されているし、ヘアブラシ、歯磨き粉、電動ひげ剃りもすべて定位置から外れた場所に転がっています。

わたしは自分の顔を洗う前に、まず、それらを全部拾って定位置に納め、台の上に積もった水やホコリを拭き取ったり、洗面ボウルの中にへばりついた歯磨き粉なんかをスポンジでこすって落とします。

みんな朝は忙しいから、散らかったままでも、あとはわたしに任せてさっさと出かけてくれて構わない、と思っています。

それがわたしの仕事なので。

 

でも、そういうことって、主婦が一人で黙って抱え続けていると、だんだん心が暗黒化してきちゃうんですよね。ともすれば「無言で押しつけられているようで不愉快」なんてひねくれた気持ちが出てきて、むっつり不機嫌になってしまうようなところがわたしにもあります。

だから、たまにこうして考えて言葉にしておく必要がある気がするのです。

「それがわたしの仕事だ」と。

わたしはそう思っているし、この家ではそれが正解です。

まあ、家族間の役割分担は家庭によって考え方もいろいろでしょうから、あくまで「わたしの家では」という話です。

 

今日は、いつも通りそんな汚い洗面所を片付けながら、以前パートで務めていた会社でのちょっと嫌な出来事を思い出していました。

 

以前の勤務先の建物は1棟がまるごと自社ビルでした。

ビルの中には執務室の他に会議室やら食堂やらいろんな施設が入っていて、トイレも広くて綺麗だしちょっとした庭もあるし、ちょっぴり老朽化してはいたけれど立派な建物でした。

広い館内を維持するために清掃は外部の業者に委託しており、業者からやってきた清掃員の方が複数名入って、1日に何度も掃除をしてまわって清潔に保ってくれていました。

 

「ちょっと嫌な出来事」というのは、トイレ掃除にまつわる話です。

トイレの洗面スペースには1台だけゴミ箱が設置されていて、そのゴミ箱は「燃えるゴミ」用のゴミ箱でした。もしペットボトルなどを捨てたいと思ったら、トイレから出て1つ下の階に移動し、自販機コーナーにある缶・瓶・ペットボトル用のゴミ箱に捨てなければいけません。

このゴミ箱、フタにも胴体にもわかりやすく「燃えるゴミ用」「ペットボトルは捨てないように」と注意書きの張り紙がされているのですが、時々、誰かがそのゴミ箱にペットボトルを捨ててしまうことがありました。空になったペットボトルだけではなく、内容物が大半残った状態で捨てられていることもありました。

あるときから、そういった違反がある度に清掃員の方が「ここのゴミ箱にはペットボトルを捨てないでください」と書いた紙を洗面台の鏡に貼り出して、捨てられていたペットボトルの実物をこれ見よがしに展示していってしまうようになりました。

 

一番悪いのは確かに、そのマナーを守らなかった一人の利用者です。

でも、そのペットボトルを見せしめに展示していく清掃員もそれはそれでどうなんだろう? と。

トイレ利用者の大半はマナーを守って使っている従業員なのに、たった一人の違反者のために、多くの何の落ち度もない人たちが不快な気分にさせられます。

 

清掃員にとって「きちんと分別されたゴミを集めること」だけが自分の仕事なのでしょうか。そこから外れた作業には責任がないのでしょうか。

業者として「トイレを常に綺麗にする」という仕事を委託されているということは、ゴミがあればそれを適宜回収して廃棄場所へ運ぶこと全部が仕事なのではないでしょうか。マナー違反に対する怒りを個人的に発散する必要がどこにあるのでしょうか。

そして、利用者にしてもほとんど全員が「自分が捨てたわけじゃない」ので、張り紙もペットボトルもそのまま何日も放置される始末です。

(そもそも「あ、わたしのだ」って気がついて悔い改めるほどの良心がある人なら最初からやらないと思うんですよね)

余談。

男子トイレでのことはわかんないけど、これって、女子トイレだから起きている問題なのではないかと思ったものです。女性従業員はほとんどが非正規のパートか契約社員。女性の正社員もごくわずか存在するが発言力のある女性社員なんていないから、こんな小さな問題は明るみに出たりしない。嫌な想像ですがそれも見越して清掃員は女子トイレで小さな憂さ晴らしをしているのではないかと思いました。

 

そんな感じで毎回トイレに行くたびにモヤっとするので、ある日わたしは決めました。

今後、張り紙やペットボトルを見かけたら、すぐさまわたしが全部捨ててやる、と。

そう決意して以降、実際にわたしが処分したのは片手に収まるほどの回数ですが。

別に誰にも気づかれないし感謝もされないけど、毎回モヤッとすることに比べれば、ペットボトルを持って下の階まで行くことぐらいなんてことはありません。どうせ本業だってめちゃくちゃヒマなんだし。

それが、わたしにとっての逆憂さ晴らしでありました。

 

同じようなことはほかにもあって。

うちのマンションに勤めていた歴代の管理員さんの中にも一人、同じように、ゴミ出しのマナー違反があったり、異常にどこかが汚される事件があるとその都度みんなが目にする掲示板に大きな警告の張り紙をする人がいました。

「ゴミの分別ルールを再確認しろ」「靴の泥は落としてから帰ってこい」「ペットの洗い場を水浸しにするな」等々。

張り紙をすれば、少しは気も晴れるでしょうか?

だけど、やっぱりそのときも思ったのです。用事が増やされて嫌なのはわかるけど、「それを始末するために雇われているのではないのか?」と。

 

そんなことを通じて思ったのですが、人が汚した場所を綺麗にするという仕事は、ちゃんと覚悟してかからないとすぐに心が闇に取り込まれてしまう危険な仕事なのかもしれません。

「トイレの神様」なんて歌もありますが、それってつまり「神様」を持ち出さなければならないぐらい、トイレ掃除は闇落ちリスクが高い、ということを示しているのではないでしょうか。

 

だから、掃除をしてくれる人には感謝の気持ちを持たなければならない、というのはそうなんだけど、逆に、掃除を自分の仕事とする人は、やると決めたからには絶対に汚れに心を乗っ取られない厳しさを自分の中に持たなきゃいけないんじゃないか、とも思いました。

ただ、そんな覚悟を持って臨まなきゃいけない危険な仕事なんだから、もっとたくさんお給料もらえていいはずだよね? っていうのも思いますけどね。

 

今日はそんなことをとりとめもなく考えてしまいました。

以上、掃除と汚れと心の闇にまつわる考察でした。