あてもなく

誰かへの手紙

おかあさんはドラえもん?

今週のお題「おかあさん」

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タケコプターっぽい画像を探しました。

 

専業主婦生活を始めてもう少しで半年になります。

前職の退職理由は「子供の受験をサポートするため」でしたが子供も無事進学しましたので、表向きの「働けない理由」はなくなりました。

でも、今の感じだと、当分はこのまま家にいる生活を続けることになりそうです。

 

5年半の兼業主婦生活を経て戻った専業主婦なので、働くことに対する憧れやコンプレックスのようなものはありません。焦りも負い目もありません。

ですが、何事もなければ、日々の生活はとても暇です。

暇な日が続くと、自分に価値がないように思えてくることもある。

専業主婦の生活で、人としての誇りを保つのはなかなか難しいことだし、覚悟がいることだなあと思います。

 

そんなときに思ったこと。専業主婦は「ドラえもん」なんだ、と。

 

「何事もなければ暇」と書きましたが、家族に何事かあったときにいろんな解決の選択肢を導くことができるのが専業主婦のいいところです。

たとえば、夫が大事な取引先へ家から直接向かうという朝に電車が止まってしまったような場合、わたしがフリーの状態で家にいれば、車を飛ばして夫を現地まで送り届けることができます。(うちの沿線はよく電車が止まります。困ったもんです)

たとえば、子供が学校に向かう電車の中で急に重大な忘れ物を思い出してしまった時、わたしがフリーの状態で家にいれば、それを使う授業の前までに学校に届けてやることができます。

 

「助けてドラえもん!」と叫んだら「どこでもドア」があらわれて、本来ならその時間にたどり着けるはずのない場所に行けてしまうこと、「取り寄せバッグ」があらわれて、本来なら取りに行けるはずのないものをその場で手にできるようなこと、そんなドラえもんのような不思議を叶える存在が、専業主婦であるおかあさん(おくさん)なのではないか、と。

 

上に挙げたどちらのケースも、おかあさん(おくさん)が助けてくれるというのはあくまでもオプションです。「甘やかし」と捉える人もいるでしょう。

電車が止まるのは不可抗力ですから「すみません、電車が動かないので遅れます」と取引先に連絡を取って丁寧に対応すれば許されるのかもしれません。どうしても行かなければならないなら、仕事なんだから会社の経費でタクシーを使っても良いのかもしれません。

持ち物をそろえるのは本人の自己責任ですから、正直に忘れ物を申し出てしかるべき評価を受けるのが筋かもしれません。隣の席の子に見せてもらって迷惑をかけ、本人も不便な思いをすることで自分の至らなさを思い知り反省するべきという意見もあるでしょう。

 

だけど、遅刻する担当者・忘れ物をする生徒というレッテルは、どんなに正当な事情があっても後からリカバー可能なものであっても、貼られないに超したことはありません。

わたしがさっと動くことで、夫や子供の「表向きの能力」を底上げできるのであれば、それが家庭の利益につながります。

「ドラえもん」がついているのび太がタダの小学生ではないように、わたしというおかあさん(おくさん)がついている夫や子供はやっぱりタダのサラリーマンやタダの高校生とはひと味違う存在でいられるのではないか、と思っています。

 

何事もないときは本当に暇なんですけど、ドラえもんだって普段はのび太の部屋でゴロゴロして、漫画を読みながらどら焼き食べてますからね。だけど、「助けて」と言われたときには「しょうがないなあ」と言いながら不思議な力で必ず助けてくれます。

家でのんびり好きな本を読んだりゲームをしたり、ぶらぶらとウィンドウショッピングをしているときは、頭の中に「平時のドラえもん」の姿を思い描きます。自分がドラえもんだと思うと、わたしも少しだけ楽しい気持ちになれます。

ちなみに、のび太の家にはママもいますが、言うまでもなくわたしは「ママ」の役目も果たしています。本来は「ママ」をやっていればそれで家庭内での勤めは果たせています。その先は自分の「誇り」の問題です。

 

わたしは、家族の「ママ」であり「ドラえもん」であり続けるため、四次元ポケットがさび付かないように心身のメンテナンスをすることと、力を求められたときは最善を尽くすことを心がけていきたいと思います。

 

なんて「母の日」の趣旨とはちょっと違うかな。