あてもなく

誰かへの手紙

勉強を教えるということ 見えない段差につまづいてしまう子供たち

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前回はせっせとプロフィール記事を書きましたが、もう一つ職歴を思い出してしまいました。

公開後でしたが追記しました。すみません。

www.atemonaku.com

「役所でのパートと並行して、近所の小学生に勉強を教えていた」という部分です。

それを思い出したのはこの記事を読んだからです。

anond.hatelabo.jp

わたしの教え子さんについて「アホの子」と呼ぶのはちょっと抵抗があるかなー。

まあ、この記事の中では温かい表現で書かれているので特に嫌な感じは受けませんが。

 

上記の記事では、

初期の段階でつまづきがあって勉強が苦手になってしまった子は、そのつまづきを突き止めてその部分を解消してあげるだけで一気に普通レベルまで勉強ができるようになる。

勉強に強い苦手意識を持ってしまっている子に勉強を教えるにはまず心を開かせる必要があり、心を開かせるには、「出来ないことを責めない」「わからない理由を問い詰めない」ようにすると良い。

 

というようなことが書かれています。

 

わたしも学生時代のアルバイトから数えるとずいぶんたくさんの子供の家庭教師をしてきましたが、その通りだと思います。

生徒さんの多くは、勉強につまづいている子供たちでした。

集団の中で学んでつまづいているのにまた塾に行って集団で学んでも問題が解消されるわけがないと思うので、塾ではなく家庭教師を選んだのは正解だと思います。

記事にも書かれている通り、そういう生徒さんは、普通の子は全く引っかかりもしないような小さな小さな段差を乗り越えることが出来ずに見過ごされてきたケースであることが多いと思います。

 

わたしの生徒さんのひとりは小学校2年生から教えていましたが、どうしても指を使わないと計算ができなくて、数が10を超えて繰り上がり・繰り下がりの計算が出てきたところでさっぱり勉強についていけなくなっていました。

指を使うと怒られると思うのか、机の下でこっそり指折り数えているのですが、それがまた可愛いやらかわいそうやらで。

わたしはその子のために厚紙をきれいに切って10のかたまり、5のかたまり、バラバラの1をたくさん作って、指の代わりに使うように教えました。1辺1.5センチのチップのようなものですが、それをブロックと呼びました。

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こういうやつ。

そして、しばらくの間、

   

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千の位 百の位 十の位 一の位

こういう枠を紙に書いて、その上にブロックを置くようにしました。

一の位の枠におけるのは小さい四角が9個まで。

10個になったら棒状のかたまりと交換して十の位のボックスに入れて、数える時は棒の本数で数えます。

上の絵だと、これで「23」という数が表されています。

(文章で説明するの上手くなくてスミマセン)

 

量の概念をわかりやすくするために、100のかたまり(10マス✕10マスの正方形)も何枚か用意しました。1000は100の板を10個つないでできるでっかい棒だよーと教えました。1000なんか作っちゃったら持ち歩くの大変だから作らなかったと言ったら笑ってました。それで1000という数のイメージはできたようです。

その子にとって繰り上がり繰り下がりが絶望的に難しかったのは、同じ数字でも桁が違うと表す量が全く異なるんだということが全くイメージ出来ていなかったからでした。

同じ「2」という数字でも10の位のところに書かれるとそれは棒が2本のことで、1の位のところに来ると小さなチップ2個になります。繰り下がりは、棒状のブロックを一度小さなチップに分解して数え直す作業なので難しいのは当然だと話したら安心したようでした。

ずいぶんボロボロになるまでブロックを使ってくれましたが、ある時ふと納得が行ったみたいでブロックを持ち歩かなくなりました。

 

このようにやってみると、逆に、このプロセスを経ないで桁の概念が頭に入る人ってすごいな~と思うようになりました。いざ噛み砕いて説明しようとすると、なかなか難しい概念だと思います。

こういう指導をするのは根気がいることです。もしこれが我が子だったら、焦りの気持ちや苛立ちが先に立ってしまってうまく出来なかったかもと思います。

仕事だと思うからこそ、厚紙をひたすらちまちま切る作業ができたように思いますし、よその子相手だったからこそ平気で「だまされたと思って、とりあえずこのブロックを使って計算してごらん」と言えたのかもしれないです。ちょっと皮肉な話です。

 

考えてみると、勉強する過程で「どうしてこんなこともわからないの」と本人を責めることほど意味のないことはないと思えてきます。

わからない理由というのは確かにあるのですが、それを突き止めるのは100%教える側の義務といっていいでしょう。そこを間違えた指導者に当たってしまうと、本人の学びの機会が未来に渡って台無しになってしまう。

なんとも怖いことですね。