あてもなく

誰かへの手紙

わたしのプロフィール 古い足跡をたどってみる 後編

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昨日の続きです。だんだん足跡が新しくなってきました。

職歴(後半戦)

この先は、いろいろやったので箇条書きにしてみます。

外資系コンサル会社の人事採用の事務補助(派遣)

通年で中途採用の募集を行い、ヘッドハンティングも盛んに行っている会社でしたので、1年中履歴書が届いていました。わたしの仕事はそのお手伝いです。

週に2~3回、1日4時間ほどの軽めのお仕事でした。

主な仕事は、不採用になった人にいわゆる「お祈り」のお手紙を作る仕事。その他の時間はファイリング等の雑用です。

歯科助手

派遣の仕事が少なくてまだ日中の時間に余裕があるなーとプラプラしていたら、近所の知り合いの奥さんから、

「私の行ってる歯科医院で人手が足りなくて困ってるらしいんだけど、あなた手伝ってあげられない?」

などと声をかけられました。

直接行って話を聞いてみると、手が空いてる時に助けてくれるだけでいいから、という話だったので二つ返事でOKし、本当に手が空いてる時だけ手伝っていました。

 

そんなゆる楽ダブルワーク生活を2年ほどやった後、出産を機にしばらく仕事から離れます。

通信教育(高校国語)の添削指導員(内職)

子供が小学校低学年になった頃、家は空けたくないけれど、暇な時間に少しぐらい稼ぎたいと思い立ち、ちょっと調べてみたらサイト上で募集されていたので軽い気持ちで応募したら採用されてしまいました。

最近は有名どころの添削指導は概ね電子化されていますが、当時は手書きが主流でした。赤インクの万年筆でせっせと書いてました。

指導は面白かったですが、1枚1枚仕上げるのに時間がかかるし手が疲れるので結構大変でした。締切に追われて夜なべすることもありましたしね~。その割に実入りの少ない仕事です。趣味だと思ってやってました。

国の行政機関の短時間非常勤職員(パート)

子供が小学校4年生になったのと同時に始めた仕事です。

仕事の内容は主に、報告書の類を専用システムに入力していくことと、その他雑用。

1日6時間で、月に12日程度(週20時間を超えないように)という条件でした。契約更新は1年で、3年を上限に雇われる非常勤です。

ラクなわりに世間の相場より時給が高くて良い仕事でした。でも、2年半ほど経った頃にあまりにラクすぎてつまらなくなって辞めてしまいました。正規の職員と非常勤ではあまりに扱える仕事に落差がありすぎて、正規の人がどんなに忙しくてもそれを手伝うことすら出来ません。

それに、自分がどんなに仕事を覚えても契約更新の上限が来ればサヨナラだと思うと虚しくなりました。

民間企業でなら、正規と非正規の垣根は低いはず。能力によってはより高い身分に取り立ててもらえることもあるかもしれない、と思って契約満了を待たずに役所を飛び出すことにしたのでした。

家庭教師

役所のパートが決まったのと同時ぐらいの時期に、近所のママ友から「うちの子の勉強を見てくれないか」と打診があり、新しい仕事との兼ね合いもあって大変迷ったのですが週1回1時間だけということで一緒に勉強してました。

家庭教師といっても、生徒がうちに訪ねてくる方式をとっていました。

はじめはひとりだけ頼まれて引き受けたのに、そこの家の下の子も追加で頼まれ、また噂を聞きつけた別のお友達からも1名追加で頼まれて、最大で3名見ていました。

2年ちょっと見てましたが、役所のパートを辞めて次の民間企業に移るときに終了させてもらいました。

金融系の会社の契約社員(パート)

念願の民間企業です。激しく電話が鳴り響き、目が回るほど忙しい職場でした。入りたてのわたしも研修もそこそこに電話を取らされるようになります。そんな中で、先輩のパートさんたちはどんどん辞めていき、その分の仕事がわたしにどんどん回ってくるようになります。それは思ったとおりの「民間」で楽しい日々でした。

ですが、1年もやっていると、パートと正社員の垣根の高さは公的機関のそれと大差ないことがわかってきます。昇進するとしてもせいぜいフルタイムの契約社員止まり。フルタイムの契約社員の待遇というのも、拘束時間が長くなるだけで収入は時給換算するとパートに毛が生えた程度。責任ばかりが重く、メンタルか身体のどちらかが病んでの離職する人が相次いでいました。

結局3年と少しパートのまま勤めましたが、後ろの2年は社会勉強だと割り切って、いろんな事を吸収しながら人の役に立つことを楽しみに働いてきました。

そろそろ学ぶことも少なくなってきたなと思った頃にちょうど、家庭の方で母親としてのわたしの力がより必要とされる状況が発生したため、仕事を辞めることにしました。

文章を書くということ

わたしの人生の中では、「文章を書く」ということが常に身近にありました。

中高生の頃は手元の大学ノートに日々の思いを書き殴っていましたし、大学生の頃にはパソコン通信に手を出して、掲示板に書き込みをするようになりました。

Webというものが広がり始めたころには自分のホームページを作って、自分の考えを書いたり、時には小説のようなものを書いてを発表したりしていました。

子供が幼稚園の頃には、とあるゲームの同人にハマり、サイトを作って創作小説を発表していたこともあります。サイト主同志の交流の中で、いわゆる「薄い本」に小説を寄稿させていただいたのも良い思い出です。

それらの活動は、自分自身の生活の変化や興味の移り変わりによって簡単に中断され、どれもがきちんとした形を成すに至りませんでした。

後悔とかそういうものはないのですが、自分の中にきちんとしたビジョンがあれば、職業という形ではないにしても、もう少しそれらしい形で自分のキャリアとして積み上げることもできたのではないかと思ったりします。

あてもなく

そう思うのであれば、これから始めてみれば良いんじゃないか、と思ったのがこの「あてもなく」というブログを始めるきっかけになりました。

途中で変に満足してしまったり、なんか飽きたり嫌になったりしてしまっても、いちいち消したりしないでいくらでも積み上げていけるようにという願いをこめて「あてもなく」としました。

あてがないのであれば、方向性とかにこだわらずいくらでも形を変えていくことができるし、それによってなんだか一貫性がなくなってしまったなと感じても、「あてもなく」であればそれを自分で許せると思ったのです。

 

さて。

自分の人生に大きく影響を与えた「子育て」という事業についてはちょっと大きすぎて触れることができませんでしたが、わたし単体のプロフィールとしてはこんな感じです。

これからも「あてもなく」をよろしくお願いします。