あてもなく

誰かへの手紙

肺炎で2回入院したわたしの思い出と、やっぱり肺炎怖いよねって話

わたしは、肺炎で2回入院したことがある。

1回目は幼稚園の年少さん(3~4歳)のとき。

2回目は高校3年生、18歳の誕生日目前の頃のことだった。

 

1回目の肺炎

百日咳という病気がある。それをこじらせて肺炎になった。

今でこそ、ワクチンが普及して余り耳にしなくなった病気であるが、当時は小児によくある病気であり、そこそこに死亡例もあったという。

 

国立感染症研究所のサイトのこのような記載がある。

 

www.niid.go.jp

 

1950年代には一旦ワクチンの普及によって罹患率は低下したものの、

 1970年代から、DPTワクチン、特に百日せきワクチン(全菌体ワクチン)によるとされる脳症などの重篤な副反応発生が問題となり、1975年2月に百日せきワクチンを含む予防接種は一時中止となった。同年4月に、接種開始年齢を引き上げるなどして再開されたが、接種率の低下は著しく、あるいはDPTではなくDTの接種を行う地区も多く見られた。その結果、1979年には年間の届け出数が約13,000例、死亡者数は約20例に増加した。

 

1975年生まれのわたしが罹患したのはおそらく1979年の頃であろうと思われる。まさに当たり年ではないか。生きててよかった。

その後ワクチンの改良が進み、罹患率も下がった、とのこと。

ただし、わたしと同年代(40代前半~中頃)のみなさん、ちょうど予防接種を受けられてない人が多いためちょっと気を付けた方が良いっぽいですよ。

 

幼い頃なので何日入院してどんな経過だったかは覚えていないが、自分の中でも最古の部類に入る記憶の中に、入院していた病院の風景がある。中でも、咳をしすぎて気持ち悪くなって嘔吐したシーンははっきりカラー映像で残っている嫌な記憶である。

そのときちょうど母が自宅に帰って不在だったため、心細さもひとしおであった。

入院中に、病室の小さなテレビで初めてドラえもんのアニメを見た。最近始まったマンガだよと母から聞いて「へー」と思った記憶がある。確かに、子供心にもとても斬新でめちゃくちゃ面白いと思った。

今調べてみたところ、ドラえもんの放送開始が1979年4月だってさ。

やっぱ、かなり記憶が正確だなあ。よほど深く心に刻まれた出来事だったのだ。

 

2回目の肺炎

マイコプラズマ肺炎だった。

最初、近所の町医者を受診したときは普通の風邪と言われた。

普通に学校を休み、医者にもらった薬を飲んで寝ていたが一向に良くならない。当時高校3年生の11月。受験を控えていた頃だったので、焦って解熱剤で熱を下げ、無理矢理数日登校してみたりもしたが、咳や全身の倦怠感など、どんどん症状が悪化して勉強どころではなくなった。

(マイコプラズマもうつる病気なので、本当は登校なんかしてはいけなかった。これも、最初に受診した医者の失策であると思う。ちなみに、最初にもらった薬がなくなって「まだ治りません」と再度受診したので、チャンスは初診時だけではなかったんですよ。でも、追加で同じ薬くれるだけだったのよね。

幸い、その後クラスの誰かがうつったとかそんな話はなかった)

これはおかしい、ということで少し離れた総合病院に連れて行かれ診察を受けたところ、あっという間に「肺炎」と診断されその場で即入院になった。

診察の時に肺のレントゲンの画像を見せてもらったが、かなり広範囲で真っ白になっていて素人目にもこれはあかんやつやなと思った。

町医者にもレントゲンの設備はあったはずだが、撮影は行われなかった。ヤブだよね。そこの病院には二度と行かなかった。

入院していたのは10日間ほど。おかげで、高3の2学期の期末テストは受けられなかった。

このときも咳の症状がひどく、声帯がすっかりやられて3~4日は全く声が出なくなってしまった。

 

治療は毎日朝晩の点滴。咳が激しく出るときは、ナースコールで咳止めシロップを持ってきてもらう。これが怖いぐらいめっちゃ効く。

点滴+1日3回の飲み薬、咳止めシロップで、あとは寝てるだけ。

何日かおきにレントゲンを撮って肺の様子を確かめ、影がすっかり消えたことを確認してめでたく退院。

マイコプラズマにはちゃんと効く抗菌薬が存在しているので、入院して2日ぐらいで熱が下がって元気になった。そうなるとヒマなので、親に頼んで参考書や問題集を持ってきてもらってベッドの上で勉強していた。

同室の入院患者のオバちゃん・おばあちゃんや看護師さんなどにはそのことで大層感心され、ことあるごとに応援してるよ!って励まされたりした。

わりと楽しい入院生活で、退院する日にはお別れが寂しくて泣いちゃったほどである。

 

まとめ

というわけで、2度も肺炎で入院しているわたしは、肺炎の怖さを身をもって知っている。

中でも一番怖かったのは、2度目の肺炎の時、風邪と誤診されて日々どんどん悪化していったあの1週間である。

 

現在問題になっている新型肺炎はまだちゃんと効く薬が存在していない状態ということなので、罹患して検査してもらえて新型肺炎だとわかったとしても、結局は決定的な治療をすることは出来ず、やはり同じように一旦は悪化していくのをただ寝て待つ日々を過ごさなければならないのではないかと思う。

そして、自分の免疫力のみで戦って勝つことでしか治癒しないとしたら、それはマイコプラズマ肺炎とは比べものにならないぐらい辛い戦いになるのではないか。

 

入院するほどの肺炎を2回やったから呼吸器系が弱いのか、呼吸器系が弱いから2回も肺炎をやったのか、どちらが先かはわからないけれど、とりあえず、わたしは呼吸器系がよわく、普通にちょっと風邪を引くだけでも咳が長引いたり声が出なくなったりしやすい。

今、世の中は混乱している一方で「たとえ新型肺炎にかかったとしてもそれほどたいしたことにならないのでは」と捉える向きもあるが、肺炎に嫌なご縁がある自分は、あまり侮ってはいけないと思っている。

 

わたしは個人的に「かかっても大丈夫」ではなく、やはり予防を頑張らなければ、と、決意を新たにするのでした。