あてもなく

誰かへの手紙

花粉症ではない鼻炎持ちの憂鬱



昼食を終えて、夕食まではまだ時間があるというこのひとときが一番眠い。

仕事に行かなくなって、毎日この時間帯に眠さと戦うようになった。

さらに悪いことに今日は鼻炎の薬を飲んでいる。

この鼻炎の薬、くしゃみ・鼻水にはスゴイ効果があって助かるのだけど、副作用の眠さが過ぎるのだ。

だけど、眠くならない鼻炎の薬は、くしゃみ・鼻水に対する効果も低い。

結局のところ、鼻炎の薬というのはなんらかの神経をまったりさせるための薬なわけだ。

アレルゲンへの反応がマイルドになるということは、それ以外の刺激に対しても反応がマイルドになるということ。アレルゲンへの反応だけを選んでピンポイントに弱めるなんてそうそう都合のいいことはないんだろうな。

どうしても起きてやらなきゃいけないことがある人にとっては、この眠気は困ったものなのだろうが、とりたてて何かやらなきゃいけないことに追われているわけではないわたしにとっては、この眠気も決して不快ではない。

このまま気持ち良くおふとんで眠ってしまおうか……。

 

春先には鼻の調子がものすごく悪くなる。

わたしは1年中くしゃみをしている人間なので、人に言ったら「春だけじゃないでしょう」と突っ込まれる。他の人から見れば常に「鼻が悪い」レンジの中で推移しているだけなのでそう突っ込まれても仕方がないところはあるが、やっぱりわたしの鼻にも季節感がある。

 

かといって、花粉症ですか?って言われるとそこは難しいところである。

春先に調子が悪くなるのだからスギ花粉にも反応しているのかもしれないけれど、必ずしも「今日は花粉が多く飛びます」というような情報と連動しないし、「花粉症です」とハッキリ自覚している人と必ずしも調子が一致するわけではないので、なんとなく花粉症とは違うんじゃないかなと思っている。

 

同じようなことに、「低気圧」の問題がある。

 

普通に暮らしていると「今日はちょっと頭が痛いなあ」とか「今日はいつもより腰痛がひどいなあ」とかその程度の不調についてわざわざ周りの人に伝えることはほとんどない。

そういうことをわざわざ人に言う時って、本当は「ちょっと」どころじゃなくかなり痛い場合だったりするでしょう。仕事や家事を休んだりするほどではない軽度の不調は自分の心の中にしまって、「なかったこと」にしてしまうのが大人の振る舞いである。

しかし、最近ではTwitterなどの普及によって、他人のちょっとした体調の善し悪しに関する情報が目に見える形で伝わってくるようになった。

それでわかったのだけど、多くの人は「低気圧」という共通の敵に苦しめられているようなのだ。

わたしもよく頭が痛くなったりする人間なので、自分も低気圧にやられている仲間の一員なのかなと思っていたのだけれど、よくよく観察してみるとわたしの頭痛は気圧には全然影響を受けていないっぽい。

今日は低気圧だから大変だぞ!と注意喚起してくれる人がいて、「わたしも頭が痛いと思ってました」と盛り上がれる人たちがうらやましい。

このうらやましさは「今日はいっぱい飛んでますよね!」と盛り上がる花粉症の人たちを横目に見ているときに感じるものと同じ性質だと思う。

 

花粉症ではないけれど鼻の調子が時々悪くて、低気圧のせいじゃないけれど頭痛に時々悩まされているわたしは、誰と連帯して何と戦えばいいのだろうか。

いやまあ、連帯したって何が変わるわけでもないんだけどね。

 

やっぱりさ、生まれ持った体質からしてマイノリティーだと、性格もちょっとひねくれちゃうみたいなとこある気がする。

日頃から色んな場面でマイノリティーな自分を感じて生きているんだけど、結局それって「そもそもの体質がマイノリティー」ってところから始まってるのかもしれないね。

みんなが元気な時に元気で、みんなが調子悪い時に調子を崩していると当然共感を得やすい。

それか、みんなと関係なく常に元気だったらそれはそれで頼もしいしカッコいい。

そうではなくて、みんなと全然波長が違うところでちょこちょこ調子を崩しているというのが一番始末が悪いのだよ。

 

ああ、流行に乗れないのって嫌ねえ。