今週のお題「修学旅行の思い出」
小学校時代
伊勢志摩に行きました。
1泊2日で伊勢神宮参拝、鳥羽水族館、ミキモト真珠島、夫婦岩見学など。
泊まった旅館の名前を覚えていたので調べてみたんですが、まだある!地図的にも絶対ここ。宿は海の真ん前で、朝早起きしてみんなで歩いて夫婦岩を見に行ったので間違いない。
「いろは館」ってなんとなくズバッと心に残るネーミングです。
大阪駅から、修学旅行専用列車というのが運行されました。
普段あんまり見かけないタイプの(おそらく旧型の)列車が用意されていて、テンションが上がります。行き先表示のところに「修学旅行」なんて書かれていてね。
ちなみに、空調はありません。
当時でも、通常の電車は空調が入っているのは当たり前でしたから子供たちみんなぶーぶー文句言ってましたが、あの頃って、そういえば子供向けと大人向けで明らかにサービスのレベルが違う時代でもあったんですよね。
まだギリギリ昭和だった時代、大阪の小学生は大体修学旅行で伊勢志摩に行くというのが定番でした。自分たちの親もそうでした。しかし、5歳下の妹の修学旅行は広島でした。
現在高校生になったうちの子も中学の修学旅行では広島に行っていましたが、修学旅行の目的が、単なる楽しみだけではなく学習の意味合い、特に平和教育の要素を持たせなければならなくなったのは、時代の移り変わりみたいなものかもしれません。
そんな時代の変化がわたしと妹のたった5年の間にも進んでいたのだなあということを感じます。
中学校時代
富士山に行きました。
知り合いに話すと「え、修学旅行なのに?」と大抵驚かれるのですが、本当に富士山です。せっかく新幹線に乗るのに東京へは行きませんでした。
修学旅行なのに、ほとんどの時間ジャージ姿で野外活動をして過ごしました。
早朝から班別オリエンテーリング、ゴールした班から飯盒炊さん、みたいな。
モタモタしてると昼飯抜きだぞ、ゴルァ!ってなぜか先生たちに凄まれるという。
夜はキャンプファイヤーや、肝試しという名のハイキング。あ、ちなみに富士登山はしません。
わたしの行ってた中学ってなんだかやたらと厳しくて、少年更生施設みたいな学校だったんですよ。話によると、わたしたちが入学する10年ほど前まで「校舎の窓ガラスが全部ない」みたいな学校だったらしくて。わたしたちの代はもうずいぶん落ち着いてたんですけどねえ。
大阪のど真ん中の、梅田にほど近いところにある中学だったので、悪い遊びをしようと思えばいくらでもできるような感じでした。保護者の職業もほんっと様々。
間違いなく言えるのは、そこの生徒たちは多かれ少なかれみんな自然とのふれあいが足りない都会っ子だったということです。だから、東京へ行くよりは、富士山麓で泥まみれになっている方がよほど良い経験になるという考えだったんでしょうね。
大人になってみればそんな理屈も理解できますが、当時の生徒たちはみんな「これって修学旅行…?」って微妙な気持ちで野外活動してましたね(笑)
修学旅行の切り札である「京都奈良」が使えないので、関西の学校はちょっと分が悪いかもしれません。
高校時代
長崎・平戸・ハウステンボスに行きました。高校の修学旅行は2年次に行くんですよね。当時も私立高校なんかは飛行機に乗って沖縄や北海道、海外に行く学校もちらほらありましたが、わたしは公立校ですのでゴージャス旅行とは無縁です。
新幹線で博多へ。その後、バスに乗り換えて長崎を目指します。
確か4泊5日の日程で、平戸2泊、佐世保(ハウステンボス近く)1泊、長崎市内1泊だったかな。
わたしの一番のお楽しみは当時開業間もなかったハウステンボスでしたが、今思い返すと平戸が一番良かったと思います。
お寺とキリスト教会が軒を並べる風景とか、お城の天守閣から見える海とか。
今となってはなかなか足を伸ばせない場所なので、連れて行ってもらって良かったなあと。
平戸に関しては、宿の食事も良かったです。修学旅行なのに、毎晩たっぷりお刺身が出ました。
当時は高校生、わたしがビールも飲まずにお刺身たっぷりの旅館ごはんを食べてたかと思うとちょっと面白いです。
一番楽しみだったハウステンボスのことはあんまり覚えていないんですよ。ハウステンボスには修学旅行の後何年かして個人旅行でも行ったのですが、その記憶すらなんだかちょっと曖昧です。テーマパークってそんなもんなのかもなあ。
やっぱり旅をするなら、街を歩いたり、地元の美味しい物を食べるのが一番ってことなんでしょうか。
以上、わたしの修学旅行の思い出でした。