自分は自分以外の誰からも傷つけられない、ということを昨日書きました。
そういえば、「こういうことを人からされたら傷つくよ」というルール、最近の言い方だと「地雷」っていうんですよね。
自分の心に埋めた地雷を除去すれば、人にされたことによって悲しみや怒りを爆発させることはなくなり、まず自分が傷つかなくなる。だから地雷はできるだけ撤去するように心がけています、というのが昨日の話の主旨でした。
でも、書いてからちょっと思ったんですよ。
わたしが「あいつはどんな失礼なことを言っても怒らない」と周りの人に思われてしまった場合、やっぱりそれなりにデメリットもあるんじゃないのかなってことです。
完全な他人との関係だと、大抵の人は節度を持った態度で接してくれるので地雷フリーでいることはそんなにリスクが高くないし、変な人が近づいてきたなと思ったら離れればいいだけですが、家族間でそんなに舐められて良いものかどうかについては、今でも多少なりとも葛藤はあるのです。
ただ、過去に地雷が爆発してえらいこっちゃになった事例は家族間がほとんどで(地雷を踏むほど近づいてくるのはほぼ家族だけなので)、わたしが地雷を撤去することによってスムーズにいくようになったと感じているのは主に家族間においてだったりします。そこが悩ましいところで。
最近のわたしは少々のことでは傷つきませんし怒りません。
それは大変穏やかで静かな日々です。
だけど本当は「わたしにとって嫌なこと」「わたしにとって辛いこと」がなくなったわけではないのかもしれない。
それらを全部「ないもの」にしてしまって、透明な存在になっていくことが本当にわたしにとって幸せなことなんでしょうか。
余計なことで傷ついて怒ってばかりいた自分にとって、気難しい自分ルール(=地雷)を手放すことは魔法のように感じられました。
だけど、わたしはもしかしたらちょっとやりすぎているのかもしれない。
わたしが、「誰からも傷つけられない私」になろうと思ったきっかけは
「嫌われる勇気」
という本を読んだことです。
あの頃は勇気に満ち溢れて何でもできそうな気持ちになっていました。だけど、あれからいろいろあって、ちょっと自己流に走りすぎたのかも。
昨日のブログを書いたことをきっかけに、改めて最近の自分のありかたを振り返ってみると、少し幸福度が下がってきているような気がしました。
穏やかでいながら、自分の本当の気持ちを失わないでいることってすごく難しいですね。
ちょっと「嫌われる勇気」を読み返して考えてみたいと思います。