あてもなく

誰かへの手紙



心が傷つかないために

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昨日ちょっとTwitterなどで話題になってた件。

news.livedoor.com

誕生日に奮発して飛行機のファーストクラスに乗ったのに、何のお祝いも受けられず大変悲しい思いをした男性が、旅行口コミサイトに怒りの書き込みをして話題になっている、という話です。

その話に出てくる「航空会社のサービスとは」みたいな話はわたしには正直どうでも良いのですが、ひとつ思ったことがあるので取り上げてみることにしました。

 

なんとなく、良い歳した大の大人が、誕生日を祝ってもらえなくてマジ泣きするほど傷ついたという話はどうしても滑稽味を帯びて伝わってくるのでちょっと話が違った方向に行ってしまいそうなんですけど、なにげにこの話、含蓄がある気がしました。

 

つまり、

自分の心ありようを自分のコントロールの外にあるものにゆだねるのは危険ですよね

ということです。

 

誰がどう悪いのかとか全部抜きにして考えると、この男性、人前でマジ泣きしてしまうほどに心が傷ついたわけですから、とても気の毒っていうか、かわいそうなんですよね。

普通にちょっと耐えられないレベルの不幸体験。

 

ただ「どういう扱いを受けた時に自分は傷つくか」という基準は自分で選んでいるんですよ。

「わたしは人から誕生日を祝ってもらえなかった場合に傷つきます」

というルールを採用している人にとっては、自分の誕生日を周りの人から忘れられるのは耐えられない屈辱ですが、

「誕生日なんて別にどうでもいい」

という人にとっては、その日1日誰からも「お誕生日おめでとう」と言われなくても別にどうってことはない。

 

どっちが正しいとか間違っているとかではなく、普通に考えて「○○な時にわたしは傷つきます」という自分ルールが少ない人のほうが生涯通じて傷つく経験が少なくて済むんですよね。

いくら自分を傷つけるようなことをしてくるやつが悪いとしても、それ以前にそもそも傷つかないで生きていける方が全体的な幸福度は上です。

ということは、相手が善であれ悪であれ、自分の心のありようを自分以外の人の手の届くところに置かないというのが結局一番安全なのではないか、と。

相手が航空会社とかサービス提供者じゃなくて、家族や友人関係であってもそれは当てはまるのではないかと思います。

 

 

と、偉そうに言いましたが、わたしもここ10年ぐらいでやっと「自分が傷つくルール」の数々を手放して、誰からも傷つけられない場所に心を置くよう工夫し始めた人間なので、件の男性のように、周りの態度や自分に対する扱いについて腹を立てたり悲しくなったりしてしまう人の気持ちがわかります。

 

わたしは子供の頃から「スネちゃま」なんてあだ名されるほど扱いづらい人間でした。

周りの人にとっても、「スネちゃま」は扱いづらく面倒で迷惑な存在ですが、実は「スネちゃま」自身も日々生きるのが辛いんですよね。

だって、本人が感じている心の痛みは本物の痛みだし、痛いからこそ悲鳴が出るのです。それなのに、悲鳴を上げれば上げるほど周りの人からは疎まれてしまい、ますます自分の立場は針のムシロと化してしまう。

そんな悪循環を断ち切るには、結局自分で気付いてその自分ルールを手放すしかない。

 

結局、それが大人になるってことかもしれませんね。

そんなことを思いました。