あてもなく

誰かへの手紙

ちょっと前のアニメ映画「SING」が意外と深くて面白かった

お題「最近見た映画」

f:id:atemonaku:20180305103928j:plain

昨日はたまたまとーーっても暇だったので家族で映画を見ました。

うちはアマゾンプライム会員なので、アマゾンビデオで調べてみると追加料金無しで見られるビデオが結構あるのです。

普段はプライム特典をそんなに使いこなしていなくて、お急ぎ便送料無料のためにプライム会費を支払っている状況なのですが。

 

わたしはもともとあまり映画を見ない方なので「最近見た映画」というお題で書くことはないだろうと思っていたのですが、今日はせっかくの機会なので昨日見た映画について書こうと思います。

 

昨日見たのは「SING」というアニメ映画です。吹替版で見ました。

家族で見るには、このぐらいの映画がわかりやすくて安心ですね。

以下、ネタバレになるかもしれないのですが、公開からずいぶん経ってるし、まあ良いでしょうかね?

 

さて。

この映画、 登場人物(動物ですけど)たちが、音楽ショーという催しを通じてそれぞれの問題と否応なく向き合い、成長していくさまが描かれているのですが、そこがとても爽やかだと思いました。

ベタといえばベタですが、映画にしろ小説にしろ、観客や読者がストーリーを通じて登場人物と一緒に「成長」を追体験することができれば、どういう作品でも概ね人は満足感が得られるという仕組みになっているように思います。

(それがわかりづらい作品だとちょっと評価がわかれる気がする)

 

わたしが最も共感したのは「ロジータ」という豚のキャラクターです。

25人の子供を育てる専業主婦。いつも家事と育児に追われて疲れ切っているけれど、才能に溢れめちゃくちゃ頭の良い、とても魅力的な女性です。

彼女は家庭でたくさんの仕事を抱えて自分の時間など取れない状態ですが、思いつきで参加したオーディションで合格し、ショーに関わることになります。

歌とダンスの練習の時間を作るために策を考えますが、ベビーシッターにも断られ、夫にも頼れない状態。そこで最後の手段として頭をひねって家事育児完全自動化マシーンを自作、家を抜け出すことに成功します。

このシーン、「うまくやったな!すごいな!」という痛快さを感じる一方で、機能さえ満たしていればそこにいるのが「わたし」である必要はないという彼女の置かれた現実が見せつけられて、なかなかに苦味が効いたシーンなんですね。

定型文で録音しておいた言葉を決まったタイミングで鳴らしておけば、夫との会話だって問題なく成立してしまう。子どもたちも「お母さんがいない」と騒ぐことはありません。

家族は誰もロジータ自身を見てはいない、ということがまざまざと見せつけられるのです。

 だけど、最後はロジータが素晴らしい歌とダンスでステージを成功させ、それによって子供たちも夫もママを見直します。そんな、ハッピーエンド。

 

でも、だから「よかったね!」っていうのはちょっと違うかなって思ったんですよね。

 

夫や子供が「うちのママって本当はすごいんだよね」と感心したとしても、ショーはあくまでも非日常。

やっぱりロジータの日常はこれからも「家事育児マシーン」であることに変わりはありません。まさに、「それはそれ、これはこれ」。

それでも彼女がショーに参加してよかったのは、夫や子供に価値をわかってもらえたことではなくて、「自分で自分の価値に気付くことができた」ってことだと思いました。

その自信さえあれば、ステージの上であろうと家の中であろうと、彼女はこれからもずっと輝いていられる。

その自信こそが財産なんだよなあ、と思いました。

 

まーそんなわけで、わたしは立場柄ロジータに共感しながら見ていましたが、ほかにもいろんなバリエーションの悩める動物さんたちが出てきますので、共感できるキャラククターを探してみると面白いと思います。

音楽も良いし絵もとてもきれいなので、ただ華やかなショーの観客として見るだけでも楽しいです。

 

たまには映画を見るのも良いものですね。