あてもなく

誰かへの手紙

古い落語を聴きながら考えた



夜寝る時に音楽や朗読を聞いているというのは以前にも紹介した。

 

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最近は、朗読にもちょっと飽きてきたので落語も聴いてみてます。

まだたくさん聴いたわけではなく、元々落語には全然詳しくないのでただ聴いてるだけだけど、いわゆる古典落語のほうが好きかも。

わたしは関西出身なので、上方落語の方が良いかな?と思いながら最初のうちは選んでましたけど、いろいろ聴いてみると、特にどっちが聴きやすいとかいうこともなく、江戸の噺家さんもいいなあと思います。

寝落ちしようと思って聴いてるんだけど、時々面白くて最後まで聞いてしまったりして。

 

YouTubeに上がっているのは、古い録音が多い。

今はもう亡くなっている噺家さんのものもたくさんある。ご存命でも、襲名前の古い名前の頃の作品とかね。

落語というのは、本題の噺に入る前にちょっとした雑談を挟むのが常です。そういうのを、マクラっていうらしい。

落語の本題自体は古典でも、マクラのところはそのときの時事問題や世相を取り込んだ話題になることが多い。

そういうのを聴いていると、ここ最近で、「笑い」に対する感覚が変わってきているのを感じる。笑いにして良いことと悪いことの基準っていうか。

聴いていると、残念ながら、マクラの時点でちょっと嫌な気持ちになってしまうことが多いのだ。ちょっと腹が立つと、本題のところまでスキップしてしまうこともある。

(古典落語の本題の方に入ってからもそういう表現があるところはあるのだけど、なんとなく「それはまあ江戸時代だからな」って思えるのであんまり気にならない)

 具体的には、人の容姿について笑いにすること、年齢や性別でひとくくりにして揶揄するようなこと、そういう話題で軽~く笑いを誘って場を温める、みたいなのが、今の感覚ではこんなに不快なのに、昔は全然問題にされてなかったんだということに少し驚かされる。

 

「先日街でバッタリ知人に会ったんですが、連れてた嫁さんがものすごいブサイクで驚きました」とか、そういう内容で観客からはドッと笑いが起きる。

今、実際に「知人の妻がブサイクで」なんて事を人前で平気で言う人がいたとしたら、その人自身の信用がガタ落ちになるけどね。

思えば、昔はお笑いに限らず一般人のレベルでもひどかったような気がする。

特に、自分が子供の頃に既に高齢者だった祖父母あたりになると、そりゃもう人のことなんか言いたい放題だった。

 

それですこし思い出したことがある。

わたしが中学生だった時の話だから、もう30年以上前のことだ。

わたしは当時中学の吹奏楽部に所属していた。結構盛んな部活で、コンクールや校内行事で演奏するだけではなく地域のお祭りやイベントに呼ばれてはちょいちょい演奏に出かけていた。

ある日地元に立派な多目的ホールが完成し、そのこけら落としイベントに我が吹奏楽部も出演することになった。そのイベントは、中学の吹奏楽の演奏だけでなく、地元の主婦のコーラス隊だとか、プロのマジシャンや芸人さんなんかも呼ばれて盛大に行われた。

わたしたちは自分たちの演奏が終わったあとは、客席に入ってそれらの出し物を観ていくように言われたので、思い思いに座ってステージを見ていた。

 

その中に、落語の一席があった。

今回思い出したのは、そのときに起きた小さな事件のことである。

ステージに登場したのは、中学生の我々から見て親よりはちょっと若いかなぐらいの、女流の噺家さんだった。

実際に生で落語を聴くのは初めてという子が多かったかもしれないけれど、そこは大阪の中学生なのでそれなりにお笑いには慣れている。どんな風に笑わせてくれるのか、期待しながらステージを見つめていた。

 

噺家さんは、マクラで早速「客いじり」を始めた。

「今日は若いお客さんもたくさんいらっしゃってうれしいですね、制服姿の中学生さんもたくさんいらっしゃって~」

などと。

その中で、私たちの仲間である吹奏楽部員に目を留めた。

 

「いやー、よう肥えて! めちゃくちゃよう食べるやろ、あんた」

「風船みたいにパンパンやんか」

 

エッと思って見たら、ターゲットになっていたのはわたしと同じ学年の女子だった。

舞台に近い前方の席で、仲良しの子と3人ほどで一緒に座っていた。

 

指された本人は、手を叩いて大笑い。一緒にいた二人も大笑いしていた。

関係のないお客さん達もみんなでドッと沸いた。

 

わたしは彼女の様子を少し離れた後ろの席から見ながらハラハラしていた。

「よう肥えて」といじられた女子は、そんなに言われるほどすごく太っていたわけではなかった。わたしたち部活仲間のあいだで、彼女はいわゆる「デブキャラ」なんかじゃなかったし、体型以外のことでもいじられる系の人ではなかった。

本人は、みんなが見ている前だから雰囲気を壊さないために大笑いしてみせているけれど、絶対内心は傷ついてて無理してるんじゃないだろうか。

そう思うと、もうわたしはお笑いどころじゃなかった。

ものすごく微妙な気持ちになってしまって、その後、舞台でどんな噺が演じられたのかその後の記憶が全くない。

 

次に覚えているのは、ステージが終わって客席から退場するときに、噺家さんにいじられた女子とその友達がめちゃくちゃ怒っている場面である。

 

「あの、ナントカって落語家! ムカつく!」

「あれはないわ」「最低!」「ひどすぎる」

 

仲良し3人組が口々に怒りながら会場を後にするのを見て、「そりゃそうやろうな」と思った。

傷ついて泣いちゃうタイプの子ではなく、そこそこ気が強くて怒りをあらわにできる子だったからまだ救いはあるものの。

女子中学生を容姿でいじって人前で笑いものにするなんて、なんと罪深いことだろう。

あの噺家さんは、多分全体的に言えば「今日はウケた」と思って舞台を下りたかもしれないが、実はお笑いにあるまじきレベルでめちゃくちゃスベっていたのだ。

 

その後、その噺家さんが売れたかどうかは知らないが、一門の名前は続いている。

サクッと検索してみたら、女流の弟子を何人も抱える師匠になってる人がいる。年の頃とかもちょうど頃合いなんだけど、その人があのときのアレなのかはちょっとわかんない。

 

まあ、それが、わたしが最初に「お笑い」の加害性、その危なさを知った出来事だと言えよう。

落語ではないけど「べっぴんさん、べっぴんさん、ひとつ飛ばしてべっぴんさん」って今の人はわかるかな?

30年前なんて、言われた人も周りの人もみんな笑うのが当たり前の時代だったけど、やっぱりダメなもんはダメだったんじゃないかなって思う。

 

 

最近は、そういう笑いを「よくない」って言えるのが普通の世の中になってきていて、それによって「面白くなくなった」「息が詰まる」なんて言う人もいるけど、やっぱり誰かの犠牲の上に成り立ってるお笑いでは笑えないなあ。

わたしは、最近の傾向はそれを良いことだと感じています。