最近街の人のインタビューなんかでよく聞く表現で、ちょっと気になっている言い回しがある。
それが、「○○なのかな」だ。
例えばね、誰かが病気だとか心配な事件について意見を求められた場合に、街ゆく人が、
「早く良くなるといいのかなと思います」
と答えるのをよく見かけませんか。
どこが気になるのかというと「いいのかな」の「のか」のところだ。
早く良くなって欲しい、という願望を表すのであれば、
「早く良くなるといいなと思います」
という言い方が正しいのではないだろうか?
「いいのかな」と、余計な部分が入ることで、ついでに疑問のニュアンスが伝わってきてしまうのが気持ち悪いのだ。
「良くなるといい」に決まっているのに、「いいのかな」ってどうなんだ、と。
「良くなるといい」というのはある種当たり前のことだし、それこそがその人の考えのキモであるのに、その事実さえ保留してしまう感じになるので、話者がその話題について「他人事」としている感が倍増してしまう。
「早く良くなるのが本人にとってはいいのかもしれないですよね、わたしは他人なのでわかりませんけどね」
という感じ。
あ、もしかしたら。
他人事だと思うからこそ、遠慮というか、あえてそういう距離を取った言い方を選択してしまう深層心理があるのだろうか。
断定的な言い方を避けて遠巻きに見る、という。
今は、ちょっとした言い回しや言葉のあやで発言を叩かれたりしやすい時代なので、テレビの街頭インタビューなんかで物を言うのは大変なプレッシャーだと思う。
わたしだったら断るわ。
不用意な「当たり前」や「個人の願望」の押しつけは命取りだ。
さすがに問題になりようがない「早く良くなるといい」という意見でさえ、断定的な言葉使いを避けて疑問形でふわっとくるんでしまうぐらい、現代の人々は発言に対して用心深くなってしまったのかもしれない。
そもそもこの言葉遣いについて気にしてる人って、まだそんなにいないと思うけど、一度気にし始めると気持ち悪い。
「国がもっとしっかり対応してくれるといいのかなと思います」
「台風がこのまま逸れてくれればいいのかなと思います」
街頭インタビューだけじゃなくて、ニュースのコメンテーターとかでも案外いることがわかる。
ひょっとしたら自分も無意識に使ってしまってるかもしれないな。
「願望の疑問逃げ」と(勝手に)名付けて、ちょっと注目していきたい。
今後注目してもいいのかなって思います。←これ