あてもなく

誰かへの手紙

槇原敬之 冬がはじまるよ 豊かだった時代の歌

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車に乗るときは、たいていFMラジオを流しながら運転しています。

 

最近はスマホをBluetoothでつないでカーステレオから流したりすることもできるのですが、何となく最初の設定がめんどくさくて。車に乗るのは大抵が近所への野暮用で、運転時間が片道15分を超えることはほとんどないのでその間に聞く音楽にはこだわる必要を感じないというか。

とはいえ無音では味気ないのでFMラジオです。

 

というわけで、野暮用のためあくせくと車に乗っていた際にFMラジオから流れてきた曲について、ちょっとした引っかかりを感じたので今日はそのお話をしたいと思います。

 

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槇原敬之さんの「冬がはじまるよ」です。

1991年11月に発売された曲ですね。

わたしが高校1年生の時……つまりこの曲を初めて聴いたのって今の我が子と同じ年なんだ!

かれこれ27年前に初出の曲ですが、そんなに古い感じがしない。

現在に至るまでにいろんなアーティストにカバーされたり本人の歌唱でリメイクされたりして色あせることなく、今聴いても素敵な曲です。

 

そんな素敵な曲ですが、わたしが引っかかったのはこの部分。

 

忙しい2人の冬休み

両手で少し余るくらいしかないけど

大事そうに胸に抱えてる旅行雑誌と

君の笑顔が素敵ならそれでいいよ

 

ここですよ。

「両手で少し余るくらい」の冬休み。12日間ぐらいでしょうか?

今の感覚だと、「しかない」なんてとんでもない!十分やん!って思ってしまいませんか。

しかも、その冬休みに2人は旅行を計画しているらしい。

 

この「2人」は学生でしょうか、社会人でしょうか。

 

続く歌詞に

去年のクリスマスはケーキを売ってたけど

とあり、去年の時点で「僕」はケーキを売るバイトをしていたわけですからおそらく学生だったのかなと思います。

一方、「ビールを飲む」という描写があるので現時点ではとりあえず成人。

(まあ、ビールを飲んでいるのはあくまでも「君」なので「僕」は未成年の可能性もありますが)

ということで、どっちとも取れるのかなあという感じ。

 

もし彼らが学生であれば12日ぐらいの冬休みを「短い」と捉えて「忙しい」と感じるのは不自然ではないかもしれません。また「旅行」については当時は学生の親世代も経済的に余裕があったので、本人がアルバイトをすれば旅行の資金ぐらいにはできたかもしれません。

もし社会人だとしたら? 当時は12日も冬休みが取れるのにまだ「忙しい」と言えるような労働環境だったのでしょうか。収入面では、休みさえ取れればどこでも好きなところへ旅行できるのが当たり前だった時代でしょう。

 

一方、現代に置き換えてみるとどうでしょう。学生の身分で冬休みに恋人と旅行に出かけるなんて、よほど経済的に恵まれている子でないとなかなか厳しそうです。アルバイトをしたって生活費や学費に消える状況の人がたくさんいると聞きます。

また、現代の社会人で、冬休みが12日もあったらすごく恵まれた労働環境の人だと思いますし、繁忙期に旅行なんて社会人であっても今の若手のお給料ではなかなか厳しいものがあると思います。

つまり、いずれにせよ現代の感覚からすると、この歌の2人はとても豊かな部類の若者像という印象になります。

 

でも、当時はこの歌詞が普通に受け入れられていました。

当時は「10日を超える冬休みを取って、恋人と旅行に行く」というのは、多くの人にとって手の届く範囲の楽しみであったということだと思います。

現代にこんな歌が流れてきたら、ちょっと妬みの対象になってしまいそう。

ていうか、まさにわたしがそこに引っかかりを感じてしまったわけですが。

 

「10日超も休みがあるのに忙しいとか!?はっ!?」

「繁忙期に旅行~!?えらい良いご身分やな!」

 

ってねw

 

1991年といえば、バブル崩壊が始まった年、とされています。

あれから27年。

歌は歌い継がれても、世間はすっかり変わってしまったなあ…とちょっとわびしい気持ちになってしまいました。

 

ところで、「両手で少し余る」という言い回しは大変微妙で、辞書にもない言葉なので聴く側の解釈に委ねられる部分はあると思います。

「両手でちょうど」を10日として、少し余るのは「指」なのか「日数」なのか?

わたしは「日数」が余ると捉えて11~12日ぐらいのお休みがあるのかしら?と解釈しました。

「指」が余ると捉えてせいぜい1週間程度のお休みで「そりゃ短いね」という解釈もアリだと思います。

 

さて。

槇原敬之さんといえば同じく冬の歌で「北風」という曲があります。

こちらは「冬がはじまるよ」発売の1年前に発売されたアルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」に収録されていた曲で、わたしが初めて槇原敬之さんを知ったきっかけのアルバムでもあります。

わたしは「北風」の方がこぢんまりしていて好きです。

 

何度もリフレインされる

北風がこの街に雪を降らす

歩道の錆び付いた自転車が凍えている

このフレーズが天才的だと思います。風景が鮮明に浮かんで胸がキュッとなる。

リフレインするたびに、別の角度からいろんな自転車の姿が見えるのです。

 

チラっと調べてみたところ、この「北風」は、Wikipediaの記載中に「FM802で猛プッシュされたのを受けてシングルとして発売された」とありました。

FM802というのは大阪のFM局で、わたしがラジオを聴くようになった原点のFM局でもあり、わたしが聴くようになった時期がちょうどマッキーのブレイクの時期でもあったんですね。

というわけで、なんとな~くラジオの話がつながりました。

 

時代を経て聞こえ方が変わってしまう歌、時代を超えても同じく切なさを感じる歌、どちらもそれぞれの良さがあるものです。

そして、20何年前からラジオを好んで聴いている自分も相変わらずなようで、変わってしまったところもたくさんあって、考えてみるとなかなか面白いものだなと思いました。