ビールを頼んだのは男性のほうだ、というバイアス
飲食店でのオーダーの話。
うちの夫はお酒を飲めない人です。一方、わたしはお酒を飲むのが結構好きな方です。
ふたりで飲食店に行くと、わたしはよくビールを注文しますが、夫が頼むのはソフトドリンクです。
ですが、男女二人組のテーブルで、ビールとソフトドリンク各1杯のオーダーだと、給仕の方は間違いなく「ビールは男性の注文」って思い込んで運んできます。
それも、黙って夫の方にビールを置かれるケースが非常に多いです。
「ビールのお客様~?」
って呼びかけてくれるのはまだ良い方だけど、それも「一応聞いてみた」ってだけで、最初から夫に向かって声かけしています。
全く先入観なく「どなたのご注文ですか」というスタンスで来られるケースは皆無といっていいでしょう。
食事のメニューでそういう決め打ちをされることはあまりないのにね。
男女二人で来店して、女性だけがアルコールを注文するってそんなに不思議なことかしら。
ほぼ全ての飲食店でそういう接客をされることを、わたしは「失礼だな」と感じます。
男性でもお酒に弱い人はいるし、女性でもお酒に強い人はいる。
お酒の強い弱いなんて、個人差であって、性別で決めつけるのは良くないよね。
今時、男性を差し置いて女性がお酒を飲むのなんて当たり前だし、全然恥ずかしいことじゃないのに。男女観のバイアスが強くて嫌だな。
……と、わたしはいつもそう思っていました。
この文章を書き始めた時点では、わたし自身、そういう論調で突っ走るつもりだったのですが、書きながらいろいろ調べていると、ちょっと見方が変わる事実に出会いました。
女性は男性よりも飲酒リスクが高いという話
女性は、男性よりもお酒に弱い。
これは客観的なデータでハッキリしているそうです。
こちらのサイトによると、主な理由はふたつ挙げられています。
- 一般的に、女性は男性よりも体が小さく、肝臓のサイズも小さいので、アルコールを分解できるキャパが小さい
- 一般的に、女性は男性よりも体脂肪が多く、体内の水分量が少ないため、血中のアルコール濃度が高くなりやすい
これらのことから、女性は男性よりもアルコールが体に長くたまりやすいのです。その結果、女性は肝臓や膵臓の病気、アルコール性の内臓疾患など、飲み過ぎが原因で起こる病気にかかりやすいので注意が必要です。
と、ハッキリ書かれてありました。
つまり「科学的に言って、女性は男性に比べてお酒に弱いので、女性は女性だからという理由で、お酒を控えるべきだ」ということなんですね。
また、言うまでもなく妊娠授乳期には、お子さんの健康のためにお母さんはお酒を飲んではいけません。
このように、女性にはお酒を控えるべきいろんな事情があるので、一般的に、女性の中でお酒が好きな人の割合は、男性に比べれば少なくなるだろうな、ということは想像できます。
とはいえ、です。
女性は男性よりも、お酒を飲むことに対して注意が必要である、ということはわかりました。
ですが、お酒を飲むかどうか、量をどうするかは、「男だから、女だから」ということではなく、個人が自分の体に合わせて判断するべきことです。個人としてどのように対処するかは自分に決定権があります。
社会から行動を規定される必要はありませんし、ましてや飲食店の店員が勝手に「女性にはお酒を出さない」という判断をして良いことにはなりません。
そこまで考えると、この問題って、社会参加における男女平等を考えるときと全く同じ構造の話だなあということに気がつきます。
たとえば、職業選択や働き方について、
女性は一般的に体が小さく弱いので、男性と同じように働かせることはできない。
とか、
女性は妊娠・出産のために休まなくてはいけない時期があるので、男性と同じように働かせることはできない。
という生物としての性差という科学的な根拠があり、その中で個人として、女性がその一般的な基準にとらわれず職業や働き方を自由に選ぶのは、なかなか難しいことです。
だけど、お酒を飲むかどうかと同じで、どのような仕事を選ぶか、どのように働くかは、やっぱり個人が自分のキャパを考えて自分で判断することです。
一概に「男性だから」「女性だから」と入口から分けてしまうのは、違うんじゃないかと思います。
これからも「そのビールはわたしのです」って言い続ける
時々面倒になってスルーしちゃうこともあります。
夫の前にビールを置いて店員が去ったあと、黙って自分の手前にビールを引き寄せれば済むことではありますので。
ただ、男性を差し置いてビールを注文する女性というマイノリティとして、存在をアピールするのも大事なことかもな、って改めて思いました。
勝手な判断で男性の前にビールを置こうとして、連れの女性に「それ、わたしのです」って言われたら、「あっ、しまった」って思う店員さんもいると思うんですよね。
彼(彼女)が、「バイアスで物事を決めつけてはいけないな」と気がつくきっかけになるなら、わたしはやっぱり自分の存在を主張するべきだと思います。
そして、そういう人が増えれば、もう少し世の中が自由になるかもしれません。
「たかがビール」かもしれませんが。何事も小さなところからだとも思います。
そんなお話でした。