あてもなく

誰かへの手紙

ゲームが生き甲斐でもいいじゃない



生き甲斐っていうのは、そんなに「立派な何か」でなくても良いのかも。

ということに、最近気がつきました。

このところ連日ブログで触れているゼルダの伝説ですが、今は多分これがわたしの生き甲斐です。

このゲームにハマるまで、ここ最近のわたしは、目標もやりたいことも欲しいものもなくてただ時間を潰して終えるだけの日々を過ごしていました。

だけど、ゼルダの伝説を始めてからは、ゲームしてない時間もなんだか楽しい。

家事をしていても「これ終わったらちょっと遊ぼう」と思うとなんだか張り合いがあるし。

夜お布団に入ってから「明日は(ゲームの中で)こういうことをしよう」とか考えたりしています。

 

明日を楽しみに眠りに就くなんて、思えばずいぶん久しぶりのことです。

 

 

もちろん、大きな意味でいえば、家族の生活を支えることがわたしの一番大事な仕事なのは変わらないのだけど、今だけ切り取ってみれば、周りの人たちの活動が停滞していてわたしの力を必要とされる場面はほとんどなくて、わたしはただルーティーンの家事をこなすだけになってしまっています。

毎日つまらないけれど、社会の状況を考えると自分自身で何かを始める気にもなれず、ただ時間が過ぎるのを待つしかないのかと絶望していたこの時期に、「明日が楽しみ」という前向きな気持ちを思い出させてくれたゲームは、大げさだけどわたしにとっては「生き甲斐」って言ってもいいんじゃないかなと思いました。

 

「生き甲斐」っていう言葉の大げささから考えると、それは人生をかけて取り組む大きな仕事や誰が聞いても納得するような活動(スポーツ、芸術、ボランティア等)でなければならないような気がしてましたが、別にそんな立派なものじゃなくても、人間を「そのために生きよう」という前向きな気持ちにさせてくれるものであれば、それを「生き甲斐」と呼べばいいのです。

そして、その「生き甲斐」は、別に将来にわたってずっと付き合えるものである必要もないし、格好良いものを厳選しようとしなくてもいいんだと思いました。

 

わたしも、今はゼルダの伝説が生き甲斐だけど、正直これが生き甲斐になるのは長くて半年ぐらいのものだろうと思ってますが、この先半年わたしを前向きに生かす力があるのであれば、それで十分。

 

今のこの時代を明るく生きていくためには、そういう小さな生き甲斐を身近なところから見いだしていく必要があるのかもしれません。

ま、それが難しいからみんなしんどいんですけどね。

とりあえず、しばらくはこれで楽しく過ごせそう。よかったよかった。