あてもなく

誰かへの手紙

おばさんになるということにどう抗っていくべきか

昨日だったか一昨日だったかにやってたお笑いネタ番組を見てました。

その中でちょっとヤバいなと思ったネタがありまして。

シソンヌというコンビで、普段はコントを中心にやっている方がいるんですが、その方たちの漫才がですね、多分ご本人たちも目指してる感じではなく刺さってしまったので、そのことについて書いてみたいと思います。

 

ネタの内容について直接触れた記事はなかったのですが、一応このネタ番組について特集された記事がありましたので一応リンクだけ貼っておきます。

動画でもあればわかりやすかったんですけどね。なんかの機会があったら是非見てみてほしいです。

 

www.agara.co.jp

 

 【じろう】今回の漫才は、昨年の全国行脚ライブでやった「キッチンようこ」の店主と客が漫才をしています。

 

ということで、いわゆる本当の漫才ではなく、それぞれキャラに扮した二人の劇中漫才みたいな感じなんですが、その中でシソンヌ・じろう氏「ようこ」というおばさんになりきって演じられていました。

そのおばさんの、おばさん感についてちょっと思うところがあったのです。

 

おばさんは、直前に自分がどんな発言をしたのかすぐに忘れる。

おばさんは、目先の出来事にすぐに惑わされる。

おばさんは、何も考えずに発言しているっぽい。

おばさんは、何も考えずに発言していることについて指摘されると「わたし何も考えてないの、おばさんだから」と悪びれない。

おばさんは、すべてを自分が「おばさん」であるせいにして責任を逃れようとする。

 

わたし、こういうのはちょっとステレオタイプな気がしますし、以前からじろう氏が演じる女性を見ると不快感を感じることが多かったんですけど、今日は少し身につまされるというか、自分もそんな「おばさん」になっているのではないかと危機感を感じてしまったのです。

 

実際には、いくらおばさんだって何も考えずに好きなことを言ってすべてを忘れて生きていくわけにはいかないんですけども。

だけど、自分の行動を振り返ってみると、自分で思うよりも、思考を手放して振る舞っている時間が増えているような気がしたのです。

 

わたしもなんだか最近とても疲れやすくて、結構な割合で「めんどくさ」って思ってしまうようになっている気がします。

一方で、長年続けてきた生活の積み重ねがあるので、最近ではあまり頭を使うことなくかなり複雑なオペレーションまでこなせるように進化してきている気がします。

その二つが合わさるとどうなるかというと、面倒なことほど頭をできるだけ使わないで達成してしまうクセがついちゃうんですよね。

 

家の中にいると、もう、大抵のことは「目をつぶってても、息をするように済ませられる」ことばかりなんですよ。たとえば洗濯物なんて干すのも畳むのもめちゃくちゃ早いしアイロンがけだってビシッとやるけど、それらの作業をやっている間は終始心がほぼ「無」の状態です。

主婦になりたての頃は、ちゃんと集中して作業しないと失敗してしまっていたし、より効率よく作業をするためにあれこれ考えたり工夫したりする必要があったけれど、今はもう効率化の余地などない職人芸です。(といっても、我が家のルールでしか通用しないローカル芸なんですけども)

 

そういう日々を送っているとどうなるかというと、「新しいこと」「工夫すること」が苦手になってしまうんですね。

できれば、息をするように済ませられることしかやりたくない。

だって、わたしったら最近なんだか疲れやすくって。みたいな。

 

これが「おばさん」化の正体ではないかと今日思ったのです。

 

わたし自身は、「おばさんだもん」なんて開き直ったりしたくない、年齢なんか言い訳にせずにいろんなことに挑戦したい、意識は高く持ち続けたいと考えている方だと自認しており、四十を過ぎてから資格を取ったりブログを始めたりはしましたが、ここ最近は社会状況とも相まって世間から離れて閉じた生活をしており、ここ最近はずーっと頭を使わず日々をやり過ごしていました。

同年代の女性たちと交流する機会でもあれば、それが合わせ鏡となって自分の姿を再確認することができるのでしょうが、そういう機会をすっかり失ってしまった今、わたしは自分のあり方を客観的に見直すことができなくなってしまっていました。

 

シソンヌのコントに出てきた「ようこ」というおばさんは、男性であるじろう氏がデフォルメして演じているつくりもののおばさんですが、その中に強烈な合わせ鏡をみたような気がしたのでした。

 

上記の記事よりさらに引用。

 

 ――どうしてそんなに女性キャラがお上手なのか、と。

【じろう】たぶん、女性の仕草とか、女性ならではの動きとか、日常的に見ているんだと思うんですが、相変わらず、なんでできるのかは、自分ではわかんないですね。

【長谷川】年々、おばさまキャラは上手になってきていますよね。キャラの年齢に本人が近づいているからなんだと思いますけど。たいてい、人懐こい、どこかで会ったことがあるようなおばさんなので、僕もやりやすいですね。

 

以前は実はシソンヌってなんか嫌いで、特にじろう氏が女性を演じてるやつがめっちゃ!苦手!面白くない!だったけど、それって結局、上手だからこそ感情が刺激されていたのかもしれないですね。

嫌いだったのは「おばさんのわりには意識高い人間(=わたし)だっているのに」っていう反発心からだと思うけど、ちょっと本当のおばさんになりかかってしまった今は、嫌いというより「悔しい」って思いました。

悔しいけど、面白かったのです。

 

コロナからの流れで社会状況を言い訳にするのは簡単だけど、ここで「仕方がない」と言ってしまったらこのままおばさん一直線でしょう。

 

悔しかったら、もっと頭使って生きろよ。

 

気がついた今日が第一歩かもしれないと思い、夜更かししてたくさん文章を書きました。

自分はまだ大丈夫だと思いたい。大丈夫、大丈夫。