できない理由を言ってたらいつまでも何も始められない、とよく申します。
ダメな自分を変えたくて、新しい何かに挑戦したいと思う。
だけど、本当に頑張れるかどうか考えると自信がないし、いざ始めたら思ったより大変ですぐにやめたくなっちゃうかもしれない。つまり、始める前から失敗しそうで、尻込みしてしまう。
そんなときに背中を押す、あるいは自分を奮い立たせる言葉です。
やるだけやって、失敗すればいいじゃないか!と。
さて、それでドンと一念発起して「できない理由」を封印して、新しいことを始めたはいいんですけど。
やっぱりなんか思ってたんと違って本当にスタートダッシュすら決められず、本当に嫌になって逃げ出してしまう。
文字通り「やるだけやって」めちゃくちゃ最初の一歩で挫折するのがわたしです。
最近も、人知れず同じようなことをやらかしたばかりでして、わたし、本当に自分が嫌になりそうでした。
それでね、思ったんですけどね。
やっぱりわたしの場合は、何かを始めようかなあって迷った場合、もっと自分の「できない理由」に耳を傾けるべきではないのかな、とちょっと思ったんですよね。
「できない理由」を突き詰めていくと、もう少し自分の気持ちが見えてくる。自分でちゃんと気がついてないけど、「できない理由」を言いたくなる時って、多分そもそも「本当は挑戦なんかしたくない」っていう本音が隠れてる気がする。
「本当は挑戦なんかしたくない」という本音と裏腹に表面上「挑戦したい」とブチ上げる時ってね、多分もっと奥底で、「本来やるべき事から逃げたい」という動機があったりするんですよ。
しかも、本当は”やるべき事”の重要さにも気がついてて、到底逃げられないだろうなって諦めてる。本当に投げ出すのもちょっと恐いし。
その辺がぐちゃぐちゃのまま始める「挑戦」なんて、絶対失敗するに決まってるんですよ。万が一その挑戦が成功したら、その成功を盾にやるべき事から逃げ切れるかもしれないってちょっと思ってるんだろうけど、それは甘いよ、きっと。
まだ、宝くじ当てようとするほうがマシかもしれない。
うーん、抽象的な話ですね。こういうことを表現するのってなかなか難しいな。
とりあえず思ったのは、なんでもいいけど、逃げるためになんかやろうとするのが良くないってことですかね。
なんかよくわかんない話でごめんなさい。