あてもなく

誰かへの手紙

「自分かわいそう病」に効く薬

ちょっと気分が落ち込むことが続いて、最近はなんとなく停滞気味な記事が多いですね。

こういうのを見るのが嫌な人もいるかもしれないと思ったけれど、スターや優しいメッセージをくださる方もいらっしゃって、大変ありがたく思っています。

ブログって不思議ですよね。

 

わたしは、自分が生活の中で気がついた事とか思ったことを書き残しておけばいつか誰かの役に立つかもしれないし、自分で忘れてしまった時に自分の役に立つかもしれないと思ってブログを書いています。

そういう目的からすると、昨日のような「弱音ではない」と言い張る「弱音」はちょっと目的から外れた記事だと言えます。一昨日の「身体が痛い」も、解決策なく痛いと言ってるだけなのでダメですね。

だけど、そういう記事を書くと(悪い言葉ですが)構ってもらえる。

これは本当にありがたいことなのですが、甘えて多用してはならないものだとちょっと反省してしまいました。

ご心配ありがとうございます。きっと大丈夫です。

 

昨日寝る前あたりにやっと思い当たったのですが、ここ最近のわたしの状態は「自分かわいそう病」そのものであったのではないかと思います。

楽しみにしていた未来が失われたこと、何に向けて頑張れば良いのかわからなくなってしまったこと、欲しいものもやりたいこともなくなってしまったこと。

それは、誰が悪いわけでもなくコロナのせいです。

最後の最後は腐らずに前を向いて歩いて行きたいという気持ちはわたしにもありますが、今ここで直ちに前を向いて歩き出すことは、わたしには少し難しい。

そんなとき、直ちに前を向いて歩いている(ように見える)人を見かけてしまうと、わたしはすぐ自分と比べて劣等感に苛まれてしまうクセがあります。そこから、自分はどうしてダメなのかとか考え始めたり、自分がどんな風に不利な状況にあるかどんどん証拠を集めて「かわいそうさ」の城を築き始めます。誰から見てもわたしってかわいそうで、だから「しかたないね」って思ってもらえるように。

実は「しかたないね」って思ってもらいたいのは、他の誰でもなく自分だったりします。自分で自分を「しかたない」と許したい。そのために、わたしは誰から見てもかわいそうなわたし像を作り上げようとする。

 

自分がかわいそうだと言えそうな証拠を集める為の目線で周囲を見ているわけですから、当然自分に不利な、自分を傷つける情報ばかりが目に付くようになります。

そして、自分にとってちょっとラッキーなことや楽しいことがあっても、それは「かわいそう」な自分像づくりの邪魔になるのでちょっと見えなかったふりをしちゃったりします。

このあたりが、「自分かわいそう病」の初期症状です。

最近、この辺りで「あ、いけない。これって自分かわいそう病だ!」って気がつくようになりました。

 

「自分かわいそう病」は自分を自分で許すための病だと書きましたが、実は、ありていに言えば周りの人に心配してもらって注目してもらうことを目的とした仮病に近いものだと思ってます。仮病、とはいえ、そこは病なので自分自身もめちゃくちゃ傷ついてリアルに苦しいです。そして、わたしが苦しむ姿を見ると、身近な人は心配するし傷つきます。本当は実態も何もない「病」が、自分だけでなく周りの人たちまで苦しめてしまう。

そんな罪深い病に、自らとらわれようとする事は、それ自体罪だとわたしは思います。

だから、気がついたらサッサと塩を撒いて、自分の中のいじけたところをまっすぐにしてやらないといけないのです。

 

自分で「これは自分かわいそう病だ」と気がつくことが、回復への第一歩です。

そこから先は基本的には「自己回復」するしかないのですが、そのときに助けになるのがこの本です。

 

嫌われる勇気

 

スマホのKindleに入れてあるので、お布団に入って明かりを消してしまった後でもすぐに読めます。どの章が何に効くっていうのは特になくて、開いた所から数ページ読めば気持ちがスッキリ落ち着いてくる感じです。

これは多分わたしがこの本を何回も読んで大体の内容が頭に入っているからかもしれません。少し読んだら、以前「腑に落ちた!」って思ったことが全部アタマに蘇ってくるんです。

恥ずかしながら、どんなに毎回「腑に落ちた!」って思っても時間が経つと忘れてしまうんですけどね。

 

この本は、自分の事が大嫌いで自分の事がかわいそうだと思っている青年と、その考え方の問題点を指摘し解きほぐすための視点を与えてくれる哲学者との対話形式で進められます。主人公の青年は、わたしの言葉で言えば重度の「自分かわいそう病」の患者です。コレまでの人生をすべて賭けて築き上げた「自分かわいそう」の城塞の中で暮らしているような人です。

おかげさまで、読むと毎回「わたしもここまでではないわ」とホッとさせられるのですが。

哲学者が青年に投げかけることばは、柔らかいようでいて、城塞を壊すためのエネルギーと鋭さを内包しています。

その力を必要な時にいつでも借りることができるのはありがたいことです。良い本に出会えてよかったなといつも思います。

 

毎回、もっと早くに気がつけばいいのにと思うけど、ある程度病気が進まないと「あ、嫌われる勇気読もう」ってならないのが不思議。普段はかなり忘れて過ごしています。

 

ちなみに、この本がすべての人に刺さるとは思いません。

あくまでも、わたし自身の性格と陥りやすいピンチの種類にたまたまこの本が合致しただけだと思います。

読書レビューなんかを読んでもピンと来ない人のほうが多いように見受けられますし、専門的な知識をお持ちの方の中には本書の問題点を指摘される方もいらっしゃいますので、ご利用は慎重に自己責任で。

 

本のオススメのためにこの記事を書いたわけではないです。

自分の悪いパターンと脱出方法の「型」みたいなものが決まってくると、少しラクになれるかもしれないよ、ということをお伝えしたく、この話を書いてみました。