あてもなく

誰かへの手紙

どこかで「仕切り直し」は必要だ しかし、どこで?



今の生活って、

ここまでやったから一旦おしまい。お疲れ様!

さあ、次もまた頑張りましょう!

みたいなのがない。

 

もともと、変化に乏しい専業主婦の世界ではあるけれど、以前であれば家族の勤め先や学校の年度替わりに伴って、間接的ながら「心機一転」みたいなものを感じる瞬間はあった。

長期休みには帰省をしたり旅行に行ったり。

そんな大げさなものでなくても、普段は行かないおいしい焼肉屋さんに家族で行って「お疲れ様会」などと称して乾杯するだけでも「さあ、また明日からがんばろ」という気持ちになれたものである。

そういう儀式を挟むことなく、ただただ毎日がんばっている。

 

「気持ちを新たにする」ということが全くなくなって、たとえばわたしの頭の中って今、もうこれ以上巻けなくなったぜんまいみたいになってるんですよ。

この先はどんだけ巻いてもカチカチ言いながら空回りするだけ。

それでも、安全装置はついているので中で爆発したり切れたりすることはないけれど、カチカチ空回りするネジを回し続けるのはあまりに虚しい。

 

これは、わたしだけでなく、家族も世間の人たちもみんな思っていることだと思う。

 

緊急事態宣言が明けた時には、そろそろ外食もいいかな、夏には帰省できるよね、と楽しみにしていたのだけれど、今のままではどうも叶わないような気がしてきている。

 

前からそんなことはある程度覚悟してきたし、ここでわたしが文句を言ってもどうしようもないのだけど、今までのようなやり方で「区切り」をつけることができないのであれば、何かしら別の方法で「今日まで頑張りました」「明日からまた頑張りましょう」と線を引くことを考えないといけないんじゃないのかな、と思う。

 

学期とか、年度とか、四半期とか。

一定のスピードでただただ流れて行くだけの時間に、人々はこれまでいろんなところで意味のある「区切り」を設けて気持ちを新たにする工夫をしてきた。

式典とか集会とかいう、一見無駄っぽい集まり。

それは非合理的なようでいて、実はかなり理にかなった営みだったのかもしれないね。やっぱりなんかサッパリするでしょ。

学校で言えば、卒業までしなくても、学年1個上がるだけでもさ。

 

 

新しい生活様式、という言葉はすっかり浸透したし、自分の中でもそれなりに身についたものはたくさんある。

手洗いの習慣や、人との距離など、どういうことに気を付けて、働き、学び、生活すれば良いのかはだいたいわかってきた。

それと同じように、節目とか区切りとか、仕切り直しを感じるための「新しい」なにかを発明しなければいけないのではないかな。

 

そんなん言うて、わたしもそれが何なのかはサッパリわかんないけどね。

とにかく、一回なんか終わりたい。