あてもなく

誰かへの手紙

みんなが会社や学校に行かなくなったことで、家庭に増えた負担とは

家族みんなが会社や学校へ行かずに家で過ごすことになったが、水道光熱費にはほとんど影響がなかった。食費についても、以前までそれぞれ個人にお金で渡していた昼食代と相殺すれば逆に安くなってるぐらいである。

だからといって、家族みんなが家で過ごすことに対して負担がないわけではない。

ただ、金額などの数字で見えない部分での負担しかないので、そのことは多分「なかったこと」になってしまいそうな気がする。

 

というようなことを昨日は書いた。

 

数字で見えない部分の負担というのは、人が生きていくうえで必ず発生する雑用の集まりのようなものである。

会社は、従業員が集中して自分の仕事に取り組めるように、それらの雑用はできるだけまとめてアウトソースするようにしている。

掃除やゴミ集め、消耗品の管理を専門で行う業者を入れたり、それらのサービスも賃料に含まれているビルに入居したり。

食事だって、社員食堂や、そういうのがないにしても、従業員自身が調理をしたりする必要は一切ないようにそれなりに考えられているわけで、従業員の1日は、「やるべき仕事をする」ということに最適化されているのだ。

学校も同じだ。生徒たちが集中して学習に取り組めるようにちゃんと業者を入れたり専用の職員を雇って環境を整備している。

 

彼らの働きや学びというのは、そのように、最適化された環境のもとで進められるのが前提になっているわけだ。

 

その働きや学びの場が、コロナの影響で突然家庭に移されることになった。

会社はかれこれ3ヶ月テレワーク態勢で続けており、学校のほうもオンライン授業を始めて1ヶ月を超えた。

その間、ずっと様子をみていてだんだんわかってきたのだけれど、彼らは家にいながらにして、それぞれ会社や学校で活動していたときとほぼ同じパフォーマンスを求められているようだ。

この傾向は時間を追うごとに強まっている傾向がある。

だとすれば、やはり家にいても彼らは身の回りで発生する雑用に気を取られている場合ではない。

 

というわけでわたしは、家族がみんな家にいる中、自分一人だけで家事を担当している。まさに、ワンオペである。

テレワークが始まろうとしていた頃、わたしは「水道光熱費や、トイレットペーパーなどの消耗品費を家計にタダ乗りされる」可能性について指摘していたけれど、結局フタを開けてみるとそういったお金に換算できる部分についての負担は大したことにならなかった。

言葉は悪いが、タダ乗りされてしまったのは社員や生徒のケアの部分だった。

これは、どこまでが普段の「家族のケア」の仕事で、どこからが「社員や生徒のケア」の仕事なのか線引きが難しく、金額に換算するなんて無理な話だ。

だから、きっとこのまま何らかの報酬に換算されたりするようなことはないんだろうなあと思っている。

 

といっても、まあ、ソレが不満だとか悲しいとか腹立つとかそういうことを言いたいわけではないんだよね。

夫や子供は不便な状況の中で結果を出すことを求められているわけで、それはそれで大変だなあと思う。

また、会社や学校だって別にそうしたくてしてるわけじゃないし。

 

全部コロナのせいだ。

 

わたしは、この状況でも夫にはしっかり働いてもらいたいし、子供にはしっかり勉強してもらいたいと思う。わたしがケア雑用の部分を完全に引き受けることで、彼らの働きや学びが最適化されるのであれば、そりゃもう喜んでやるしかないな、と。

 

報酬には換算されないけど、結果として夫の仕事がうまくいって子供の勉強がうまくいったら、それがわたしのご褒美にもなる、と思う。

まあ、こういう内助の功的な考え方で生きてる人も少なくなってるご時世なので、古いなあって思われるかもしれないけど、そんな感じで毎日頑張ってます。