先日、Twitterを見ていたら
あつ森に飽きたんじゃない、逃げたのさ…私は何も続かないのさ…ヨガもやめちまった…最初の1カ月は毎日行ってたけどそれが「やらなきゃいけないこと」に変わったとき人は逃げ出すのさ…毎日ログインして住民全員に声をかけ木をゆすって化石をほり株価を調べマイルをもらう生活から…逃げちまったんだ
— まめきちまめこ (@mamekichirou) 2020年6月7日
つまりどうぶつの森を続けられる人は責任感があり最後までやり遂げる力がある人ってことさ…これ履歴書に書けるぜ
— まめきちまめこ (@mamekichirou) 2020年6月7日
というツイートがバズっていて、共感の声がたくさん寄せられていた。
というか、ウチの子供なんかもこれ、すごく「わかる」んだそうで、このツイートを肴に、ひとしきり「自分はどうぶつの森がつづけられない」ということについて熱く語っていたのだった。
まあ別にどうでもいいっちゃどうでもいい話なのだけど、このツイ主さんや、ツイートに共感する人々(ウチの子含む)が、「どうぶつの森」というゲームが続けられないことを自分の「欠点」のように捉えてしまっている点が少し引っかかる。
本当に、「どうぶつの森」が続けられないのは責任感や最後までやり遂げる力がないからなんだろうか?
「ゲームに飽きた」程度のことでちょっと自己卑下みたいになってしまうのはなんでなんだろう。
SNSとつながってしまったから
そんな風に思ってしまう原因の一つとして、まず考えられるのは今作「あつまれどうぶつの森」がめちゃくちゃ売れすぎたことが考えられると思う。
オンラインによって顔を合わせなくても他のプレーヤーと遊べるシステムが、コロナ禍で起きた「ステイホーム」の状況とマッチしたこともあり、発売から6週間で全世界1341万本の大ヒットを記録した。
ちょっと検索しただけでも「あつまりどうぶつの森」を「社会現象」と表現する記事が出てくる。外出自粛の日々の中で、やろうと思えばいくらでも暇つぶしができるような要素が詰まったゲームが出たことは大きかった。
一人で遊んだり、友達とお互いの島を行き来するだけでなく、ゲームの中で自分が見つけた楽しみや、笑えるネタについて、TwitterをはじめとするSNSやYoutubeの動画などで発信することも流行った。
その中で一部の上級プレイヤーたちの姿は世の中の多くの人々にもてはやされる事になる。
それが一般の「普通」「普通以下」のプレイヤーの劣等感を刺激しているような気がする。
それって、たとえば学校の同級生や職場の同僚など、ちょっと知ってるだけの他人が、SNSで繋がってみたらやたら華やかなプライベートがを過ごしていることがわかって自分の生活の地味さが恥ずかしくて惨めになってしまう現象と似ているのかもしれない。
ちなみに、上記でツイートを引用させて頂いた人は、おそらくあつ森ユーザーとしては「華やか」側の人であったようだ。
華やかを維持する側だって大変。これも一般のSNSと通じる部分があるなあと思う。
頑張らないと楽しくない でも、頑張ると楽しくない
華やかで見栄えのする「島」を作るには、センスだけでなくそれなりの努力と根気が必要だ。
努力はしてみたものの、センスと根性が足りないことを悟った人々は、どうぶつの森を「頑張る」ことを諦めてしまう。そのときに「自分には続ける力が足りなかったのだ」という一種の敗北感を味わってしまうらしい。
しかし、このゲーム、実は真面目に努力を重ねて何かを達成したい人にはちょっと厳しい面があるんじゃないかなあと思っている。
先日見つけたこの記事。
ゲームの中に埋め込まれた非効率的な要素についてのユーザーの正直な意見がまとめられているのだが、この中で
『どうぶつの森』シリーズは、意図的にプレイヤーに制約を課す作品でもある。合理性のための改善には、そこまで積極的ではないということだ。
と書かれている部分がとてもゲームの性質を表しているなあと思った。
このゲームは、「意図的にプレイヤーに制約を課す」作品なのだ。
一般的に、何かを達成するために努力をしようという場合、人は繰り返しの作業を効率化したりしながら成長のスピードアップを図ろうとするものだと思う。
ところが、どうぶつの森では繰り返しの作業を効率化することはできない。
どんなに長いことプレイしている熟練者でも、DIYは1点ずつ、島の開発も1マスずつの作業になる。開発になんやかんや必要なゲーム内通貨の「ベル」を手に入れるのも、ひたすらコツコツした作業が必要だ。
普通はそういうのを「かったるい」と感じるものだと思う。
そういう「かったるい」作業を黙々と続けられるのは、一握りの天才だけだと思う。
どうぶつの森なんか、続けられなくてもいいじゃないか
SNS映えする素晴らしい島は、気の遠くなるような単純作業を超えた先にある。
その作業に立ち向かえないのは、プレーヤーのせいではない。
あえてその気持ちを折ろうとしてくるゲームの設計があなたに合わないだけなのだ。
現実の問題として「わたしには責任感ややり抜く力が足りない」と傷つく必要はない。
と、わたしは思いますよ。
わたしはまだ家族の中で唯一「あつまれどうぶつの森」を遊び続けているのだけど、それは根気が良いからではなくて、何もかも中途半端なままほったらかして平気なほうだからというだけです。
そんなわけで、いい加減すぎるうちの島。
よく考えて綺麗な花壇を作ったり綺麗な並木を作ったりするのが面倒で、とりあえず花や木を植えておく為にテンポラリースペースを作ってみたのだが、いつまで経ってもそのままなので「捨て場」と呼ぶことにした。
多分ずっとこのままだわー。