あてもなく

誰かへの手紙

自粛生活における幸福感と、欲を失った世界



今朝見つけた興味深い記事。

 

toyokeizai.net

 

タイトルは「幸福を感じた人」となっているけれど、よく読んでみれば「良かったような、残念なような」という内容のものが多かったりする。

「幸福」といっても必ずしも旧来の価値観での幸福ではない、というか、すっかり世間での幸福の基準が変わってしまったなあという感じがする。

その変化に、いろんな人が戸惑っているのを感じる。

 

わたしは、再三ぐちぐち書いてるとおり自粛生活にはしんどさを感じてた方なので「幸福を感じた人」という言葉になんとなく身構えてしまうようなところがあったんだけど、必ずしも「わーい、自粛バンザイ♪」というお話ではなかったので、申し訳ないけどちょっとホッとしてしまった。

 

全体として感じたことは、

「みんな、すっかり欲がなくなってしまったよね」

ということだ。

 

コロナ前の世界では”「欲」を創出して人を駆り立てる”っていうことがものすごく当たり前に、盛んに行われていたよなあって思う。

「それこそが経済だ」とでも言うように。

その「創出する」活動がコロナ禍によってことごとく制限されてしまって、放り出された人々は、日々過ごす中で自分の中の欲というものを改めて見直す必要に迫られてしまった。

上記の記事を見ていると、多くの人が夢から醒めたっていうのか、どちらかというと「本当はそこまで欲しくなかったのかも」って思い始めているように感じられた。

 

わたしは元々、コロナ前の世界の”「欲」を創出して人を駆り立てる”経済のあり方が、あまり好きではないと思っていた。

人がたくさん集まる場所なんか苦手だし、何かを手に入れるために人混みを掻き分けて行ったり、行列に並んだりするのが本当に嫌いだった。

だけど、今思うと、例えばわたしの好きな音楽も、好きな食べ物も、好きなお店も、みんな駆り立てられて集まった大量の人たちが支えていたからこそ栄えていたんじゃないかなと。

もし、誰かが創出した「欲」に駆り立てられる人々がいなくなったら、わたしにとっての楽しいものもなくなってしまう。

結局、わたしだって同じ経済の中で恩恵を受けて暮らしていたってことだ。

 

3月の終わり頃のブログでも、うっすらそのことを書いていた。


www.atemonaku.com

 

 もしこの状況があまりに長く続くようなら「ショッピングモール」という商売そのものが成り立たなくなるに違いない。そんなことになったら、わたしは楽しい買い物の場を失ってしまうことになる。

一方で、わたしは混んでるショッピングモールは好きじゃない。わたしにとって混んでるショッピングモールは楽しい買い物の場ではないのだ。

だとしたら、わたしの好きなショッピングモールって何だろう。

 

「欲」に駆り立てられて行動し続けるのは、楽しいけど疲れるんだよね。

だから、コロナ前まで元気にあれこれ追い求めていた人たちは、今「欲」の供給が止まった社会の中で戸惑いやさみしさを感じたりもするんだろうけど、ちょっと休めてホッとしてる部分もあるのではないだろうか。

それが、上記記事の中で触れられている幸福感の中身なんだと思う。

一方で、わたしはもともと疲れない程度におこぼれを楽しんでいた人間だから、その幸福感より喪失感のほうが大きく感じられてしまう。

 

そのあたりの世間とのズレもまた、今のわたしのしんどさの原因のひとつにはなっているのかもしれないなと思った。