あてもなく

誰かへの手紙

欲しいものがなくなってしまった

以前は、人並みに、ちょっと良いバッグとかちょっと良いアクセサリーとかちょっと良いお化粧品とかに興味がありました。

だけど、全く欲しくなくなりました。

当然だよね。外に行かないし誰にも会わないのに、そんなもん持ってても仕方がない。

以前だって、「欲しいなあ」って思っていても、いつも見てるだけでほとんど買わずに手持ちのもので間に合わせてる状態だったので「買わない」という事実はほぼ変わらないのですが。

それでも、欲しいなあと思ってるかそうでないかで気持ちはずいぶん変わってしまうものなんだと気がつきました。

 

わたしは元々お金を稼がない人なので「頑張ってお金を稼いで買うんだ」っていうモチベーションはないと思っていたのですが、そういう「欲しいもの」を家計から買う時に自分なりの理由付けとして「毎日頑張ってるから」というのが後押しになってはいたみたい。

つまり、「欲しいもの」というのは回り回ってちゃんとモチベーションにはなってたのかなあとも思います。

 

コロナ禍がいつかのタイミングで収まって、今敷かれている規制は少しずつ解除されていくと思うけれど、「むやみに人を集めない」という習慣は残っていくと思っています。

書面や電話のやりとりで済むものは書面で済ませる。少々込み入った話でもオンライン会議のシステムを使って済ませられるものは全部オンラインで済ませましょう、というように。

そうすると、多分わたしのような人間が外へ出て行く機会は今後失われていくんだろうなと思っています。

 

たとえば、わたしは子供の通う学校のPTA関係で少し役割を頂いていて、以前は学校内外の色んな会合に引っ張り出されていました。

それらは基本的に「ただ出席するだけで、来賓のご挨拶を聞いて拍手をするだけで良い」という非常に空虚な集まりでした。そして、その空虚な会合の後に、集まった皆さんでお食事をして「親睦を深める」という謎の会の参加者として席を埋めておりました。

わたしが、ちょっと良いカバンやアクセサリーや化粧品が欲しかったのは、そういうところに行く時の為でした。

 だけどおそらく、こんなものは「むやみに人を集めない」という流れの中で真っ先に消し去られる存在なんじゃないかと思います。

だから多分わたしはもうずっと良いカバンやアクセサリーや化粧品を買うことはないんだと思います。

 

そういう空虚な集まりは、せっかく時間を掛けて出かけていったりしても別に新しい友達ができるわけではありません。何か後々役に立つ人脈ができるとかそういうわけでも全然ないと思います。

そこにいる人たちはみんな子供が在学中、という任期をもって職を離れるかりそめの「PTA会長さん」たちであり、「○○高校さん」と校名で呼び合う関係のまま「親睦」を深めていくわけです。

めっちゃつまんないよね。でも、案外わたしはそういう集まりが好きでした。

そういうことでもないと、わたしはきちんとした格好をして人前でご挨拶するだとか、知らない人と社交的な会話をするだとか、ホテルの宴会場や銀座の和食屋でなんとなく美味しいものを食べて適度にお酒を飲むとかいうことに縁がなかったわけで。

そんなのはほとんどの人が面倒に思うことかもしれないけれど、わたしは好きでした。

そして、ほとんどの人が面倒に思うことを引き受けていたという側面もあったので、校内の人たちからはとても感謝されました。

 

さて。

思い出の話は、そろそろいいですね。

わたしはこれからは、何か他の「好きなこと」を見つけていかなければならないんだと思います。消えてしまったものに執着しても仕方がないものね。

元々みんながそんなに好きそうじゃなかったことが好きだったわたしなので、きっと誰も見てない変なところにあるのかもしれないよね。

早く見つかるといいんだけどね。