今朝Twitterで見て気がつかされたこと。
海外の事例を見ていると、緊急事態宣言後のスーパーで感染する例が多い。緊急事態宣言が起きても、数日はスーパーに近づかない方が良い。群衆はスーパーに殺到して並び、店内は混雑、感染する。現在はsocial distanceや入場制限かけてるが、日本も初期はかけないから危うい。https://t.co/HZDeFN6EWJ
— dirG (@Dirg_rocketdyne) 2020年4月5日
先日からもちょこちょこ書いているけれど、わたしはこの家の買い物担当であるので、外出自粛生活の中でも日々の食料品を手に入れるためにスーパーなどへはよく出かけている。
買い物の頻度は3~4日に1回。この頻度は、コロナ禍が始まる前から大体同じぐらいだったが、今は家族が家に常駐するようになって消費量が上がっているため、むしろ以前より頻繁に買い物に行かないと追いつかない感じがしている。
そうしてそこそこ頻繁にスーパーへ足を運んでいると気がつくのだけれど、緊急事態宣言が出ていない現状であっても、スーパーには以前よりたくさんの人が集まってきていることをひしひしと感じる。
品不足は起こっていないし、買い占め行動をする人もいないけれど、遊びに行く場所がなくなった人、不要不急の集まりが中止になった人など、行き場を失った人たちが確実に地元のスーパーへ集結し始めているのだ。
ここへ「緊急事態宣言」が出たらどうなるだろうか?
食料品を買いに行くことは「不要不急」認定されないので、なんとなく「許されている」感じがする。
しかし考えてみると、これは感染リスクと生活が維持できなくなるリスクを天秤にかけた上で「どっちを取るか」の究極の選択であって、誰かが「許す」とか「許さない」の問題ではないのだ。
「世間」という名の誰かが「食品の買い物なんだから、仕方ないよねぇ」と許してくれたって、自分が病気になってしまっては意味がないのだ。
そのことを、自分もちょっと忘れかけていることに気がついてゾッとした。
お国が「ダメだよ」って言ってくれなきゃ行動を変えることはできないのか?
そんなに「おんぶにだっこ」でいいのだろうか。
1ヶ月以上も前に書いた文章。
責任のすべてを国に委ねて、一律で基準を定めてもらうのが、本当に「良い」ことなのだろうか?それは、違うんじゃない?ってわたしは思う。
きっと、「国がちゃんと決めてくれれば!」って言う人は、自分で判断したくないのだ。判断するときの痛みを、自分ひとりで引き受けたくないのだ。
まあ、もちろんそれはキツいことだ。誰か決めてよ、偉い人!って言いたくなるのが人情ってもんだろう。
ただね。
そのときに「ああ、自分は責任取りたくないんだなあ」「痛みを引き受けるのが嫌なんだなあ」って考えると、少しは心持ちが変わるのかも。と、思ったりしました。
基本的に、この考え方は今も同じだと思う。
これを書いた当時、わたしは「実家へ帰省するか否か」の決断に迫られていたのだけれど、今では「スーパーへ買い物に行くかどうか」という、もっともっと足元に迫った問題について考えなくてはならなくなった。
わたしも今はまだ、日常の食卓を保ちたくて、こまめにスーパーに通ってはとりどりの生鮮食品を買い求めているけれど、どこかでそれは「できないね」って判断をしなくてはいけない日がくる。
それは誰かに命令されたからとかではなく、自分で決めなきゃいけないことです。
ああ、しんどいね。大変だな。でも、死にたくなかったらそうするしかないんだよ。