昨日「新型コロナウイルス政府対策基本方針」というものが発表され、テレビやネットなどでもその話題で持ちきりだ。
結局政府は、具体的な基準を示してイベントの中止や学校の休校・企業の休業などを要請することはしなかった。そのことについて、「判断を丸投げ」「責任の押しつけ」などと非難の声を上げる様子がたくさん見られる。
たとえば、今朝見かけたのは、あくまで一例だけど、こういう感じ。
なぁなぁ、で結局のとこライブとかイベントはやっていいの?あかんの?どっち?やっても怒られて、やめても怒られる... そろそろ政府でちゃんと決めて欲しい... ( ⌯᷄௰⌯᷅ ;)<「自己責任」は無責任ッスよ...
— 西川貴教 (@TMR15) 2020年2月25日
同感だ!と思う人が多いかもしれない。
子供を学校に行かせたくないけど、家庭の判断で休ませてしまったら子供の成績が下がってしまう恐れがあるから休めない。政府の指示で学校を休校ということにしてくれればいいのに。
自分の判断で仕事を休んだら自分の評価が下がってしまうから休めない。政府が「出勤禁止」ぐらい言ってくれないと困る。
まあそれはそうだなあと思う。
ただ、それはそれとして、ちょっと思うことがあるのです。
まあ、聞いてくださいな。
わたしは、本当は今度の金曜日から実家へ帰省することになっていた。
新幹線に乗って、神奈川県から大阪府へ。高校生の子供も一緒に。
実家の両親は70歳で、まあ高齢者の部類です。妹んちにも遊びに行って、幼い甥や姪と一緒におひなまつりのパーティーをしようね、なんて計画もありました。
そこへ新型コロナですよ。もう年明けからずっと迷いに迷い、悩みに悩んだあげく、ギリギリ昨日まで判断を保留にしていたんだけど。
昨日、泣く泣く取りやめることにしました。
実家へ帰ると全部実家持ちでいろいろごちそう食べさせてもらえるし、朝から晩まで家事を気にすることなくのんびりできるし、子供は好きなもん買ってもらえたりするし、わたしにとっては貴重な息抜きのチャンスでもある。
また、ありがたいことに娘と孫が甘えに帰ってくるのを両親は楽しみにしてくれているので顔を出すだけで親孝行にもなるし、年に2回ほどの帰省は一石二鳥のイベントなのだ。
それなりにスケジュールの調整は大変だったりするんだけどわたしはこの行事をとても大事に思っている。
その大事なイベントを、自分の判断でキャンセルしました。
本当は政府からの発表が「風邪症状がある人はなるべく外出を控えて」みたいな言い方じゃなくて、「国民はおしなべて、別表にて定める特定の用事以外で外出することを禁ずる」「新幹線で移動して良いのは、役所で申請して許可が下りた人だけ!」ぐらいのことを言ってくれれば、わたしはここまで心を痛めることなく「国が言うんだから仕方ないよね」って言って帰省をキャンセルすることができた。
それは、きっと自分で「行かない」判断をするよりもラクだっただろうと思う。
でも。
もし「国民はおしなべて、別表にて定める特定の用事以外で外出することを禁ずる」なんて命令が出て、外出が許可される特定の用事を定めた「別表」が公開されたら、そのときはそのときで「○○が良くて××がダメなのはなんで!?」「□□も加えて欲しかった」「△△が許可されているのは賄賂使ったヤツがいるからだ」等々、またもや紛糾するにちがいないのだ。
みんなみんな、それぞれ個人の都合があって気持ちがあって欲があって損得勘定があるのが社会だから。
責任のすべてを国に委ねて、一律で基準を定めてもらうのが、本当に「良い」ことなのだろうか?それは、違うんじゃない?ってわたしは思う。
きっと、「国がちゃんと決めてくれれば!」って言う人は、自分で判断したくないのだ。判断するときの痛みを、自分ひとりで引き受けたくないのだ。
まあ、もちろんそれはキツいことだ。誰か決めてよ、偉い人!って言いたくなるのが人情ってもんだろう。
ただね。
そのときに「ああ、自分は責任取りたくないんだなあ」「痛みを引き受けるのが嫌なんだなあ」って考えると、少しは心持ちが変わるのかも。と、思ったりしました。
わたしは痛みを引き受けた。
連絡を受けて実家で待ってた親もその考えを尊重して一緒に痛みを引き受けてくれた。
それは結構尊いことだと思うんだ。自分だけでも、そう考えなきゃやってられん。
これからしばらく、この流行り病の災禍が収まるまでは、そんなことが続くのだろう。
気持ちをしっかり持って、がんばらなければ。