あてもなく

誰かへの手紙

続けるために必要なのは「楽しい」とか「役に立つ」とかじゃなくて「意地」なのかもしれない



わたしがブログを始めたのは2018年1月13日だ。

先日はてなさんから「ブログを始めて2年経ちました」とお知らせのメールが届いて気がついた。

このブログは始めた当初半年ほどは毎日更新していたが、夏頃になってサッパリ書くことがなくなってきて週1~2回更新になり、やがてますます足が遠のいて月2~3回程度の更新まで頻度が落ち込んでしまうこともあった。

その後、昨年の9月の終わり頃からまた心を入れ替えて毎日更新を再開。

それから今日まで毎日更新を続けてきた。

 

今日の投稿でちょうど365記事になるという。

2年ちょっとで365記事。このところの毎日更新の取り組みのおかげで、とりあえず2日に1記事は書いたぐらいのペースまでは回復したということだ。

 

しかしまあ、毎日書いてるとやはり全く書くことがなってしまう。

書きたいことがあるときは同じテーマで2~3日引っ張って書くことも出来るけど、一旦枯れると本当に何もない。

例えば昨日のフライパン、一昨日のイチゴ狩りなんかは、もうダメかなと思いながらなんとか絞り出した感じで。

そんな風に書いているときは、ちっとも「楽しい」なんて思えないし、書いたことが何かの為になる感じもしないから、正直、何のためにやってるんだろうって思っちゃう。

 

こんな事のために、時には睡眠時間を削ったり、夕飯を作る時間を押して後から大慌てしたり、本当に何やってるんだか、って思う。

 

勉強やスポーツなんかだと、モチベーションが保てるようなご褒美(テストの点数とか、大会の賞とか)があるし、例え結果が伴っていなくても休むことで明らかに後退することもあるからその恐怖心から逃れるためという動機もあって毎日なんとかがんばれる。

一方、タイトルの通り「あてもなく」書いているブログには、モチベーションを保つようなご褒美は全くない。

自分でもそう書きながら「なんか、ちょっとぐらいあるやろ」って思ったけど、ホントに全くない。

それなのに、なんで書くのか。

ただ、続けているのは「意地」のためである。

やめたくないから、やめないだけだ。

目的も手段もなくて、ただ「何か書くって決めたから、書かねばならない」だけなのだ。

 

まとまらなくても、つまらなくても、下手でも、短くても、毎日書く。

そのことが何かにつながる感じは全くしないし、きっと何の役にも立たないし、期待もしないけど、それが自分との約束なのだ。

やめなきゃならない理由が浮上するまでは書く。

そんな「理由」ができてブログをやめる時には「苦しいとか思ってたけどブログ書けてた頃は幸せだったよね」って思うんだろう。

 

だから、やっぱり今こうして文章を書いてることは幸せなんだ。

 

明日からまた書くことがないと思うけど、明日も書きます。明後日も。