最近、おんなじようなことを考えていた。
この冬の初め頃に、わたしは新しいコートを買った。
見た目ウールだけど、実際には毛が半分ぐらいで残りは数種類の化繊が混ざった生地だ。デザインはとても良くて気に入った。
消費税込みで2万円弱。セールではなく定価なのでずいぶん安いなあと思った。
そのコートなんだけど、案の定何回か着たらすぐに毛玉だらけになってしまった。
毛玉取り専用のブラシでゴシゴシやるとちょっとマシになってまた着られるようになるが、次に着るとまたすぐに毛玉だらけ。
ブラシを掛けると、毛玉と一緒に、かなりごっそりとケバケバが抜ける。
着る度に毎回これだけ毛を抜いていたら、そのうち布本体がすり減って薄くなってしまうのだろうなと思う。
やはり「安かろう悪かろう」なのだ。
このコートは、きっと今シーズン限りか、良くて次の冬の初めにちょっと着て終わりかもしれないなと思っている。
結婚する前や結婚したばかりの頃(20年ほど前)には、わたしも本当のウールのコートを持っていた。しかし、子供ができて育てている間に自分の着るものはどんどんカジュアルになっていっていった。ウールのコートなんか着て出かける場所もない。
わたしが子育てしている間にどんどんファストファッションのお店が台頭してきて、周りの人たちの服装もどんどんカジュアルになっていった。
いつの間にか、学校のちょっとした集まりなんかにもフリースとか軽いダウンのジャケットを引っかけて出かけるのが普通になった。
それで、自分はもうウールのコートなんか着ないだろうってなんとなく思い込んでしまって。
そこへ、第一次こんまりブームですよ。
詳細はこちらの記事に書いたけど、こんまりさんの著書を読んだわたしは、狂ったように、ごっそりと持ち物を捨ててしまったのだ。
捨てた中には、ウールのコートもあった。
だって、そのときはあんな服、全然「ときめかなかった」んだもん。
今思えば、あのときのコート、取っておけば良かったかなあって。
何年も着てだいぶ飽たし...と思って捨てたけど、思えば、飽きるほど着たのに目に見えるほどは傷んでいなかった。
その「いくら着ても傷まない」というのがすごく価値のあることだったんだけど、そのときは気がつかなかったのだ。
とはいえ。
もし今あのときのコートが目の前にあったとしたら、やっぱり型が古いなあって思ったりするのかもしれないけどね。
ウチはそんなに広い家でもないので、場所というのも大切な財産だ。当分着るか着ないかわからない衣類で大切なスペースを塞ぎっぱなしにしておくことだってもったいない。
とりあえず、自分にはそう言い聞かせている。
次、また安いコートを買ってすぐに着潰すものと割り切るか、思い切って高くて質の良いコートを探すかは、もう少し考える。