あてもなく

誰かへの手紙

チャイルドシート談義から考える、物事の優先順位



togetter.com

 

学生時代の仲良しグループで遊んだ時に私の車で移動することになって
そのうちの1人がチャイルドシート無しで子供を乗せようとするから乗車拒否したら他の子に
【空気読もうよ…】
と言われたので
【子供の命より大切な空気なんてなくない?】
と答えたら空気は凍ったけど、他に答えようがなかった。

 

というツイートから始まる一連のツイまとめ。

数日前にはてブのほうで見かけてからなんとなく頭の中でコネコネしてました。

 

乳幼児をクルマに乗せる際には、チャイルドシートに固定する。

これは当たり前。

トゥギャッターでもブコメでも、もちろん賛同の方が多いし、わたしももちろんその点については賛成。

「チャイルドシート無しで子供をクルマに乗せる」ことの是非なんて、そんなもん聞かれればそりゃー「非」に決まっているのだ。

 

ただ……ちょっとこの件で、自分の苦しかった思い出がよみがえってきたのでそのことについて書いてみたい。

わたしが乳幼児を育てていた時期というのはもうかれこれ15年ほども前のことになるのだけど、当時からこのチャイルドシートの話題はネット上では定期的に盛り上がるネタの鉄板だった。

わたしもその頃は、当事者として頭を悩ませていた。

当時うちはクルマを持っていなかったので、わたしは乗せてあげる側ではなく、逆に、乗せてもらう側。好意で「乗せていってあげる!」って言ってくれる人への対応で困っていた。

わたしはネットで得た知識を元に「チャイルドシート無しで我が子をクルマに乗せるなんてありえないでしょ」とは思っていたが、好意からの申し出を断るのは難しい。

 

今でもそうかもしれないけど、ネットのスタンダードは一般のスタンダードとは少しズレる。

当時から自分ちのクルマにチャイルドシートを付けている人はたくさんいたけど、それは「子供の命を守るため」というよりは自分が運転で手が離せないときに子供を固定しておく為の便利グッズでしかなく、誰かの運転でクルマに乗せてもらえる時なら子供は母親の膝の上で十分と考えている人が多かった。

そんな状況下で、わたしだけが真顔で「事故った時に怖いから」と言うのは難しかった。相手にも失礼になるような気がしたし、ひいては今後のお付き合いにも影響する、と。

それで、今だから言うけど、何度か膝の上に抱っこでクルマに乗せてもらってしまったこともある。無事に帰れてしまえば、正直めちゃくちゃ身体はラクだし、普通にありがたかった。

ただ、子供を危険にさらしてしまったという点で罪悪感は半端ないのだけど。

「子供を危険にさらしてしまった」という罪悪感に、ネット掲示板でのチャイルドシート談義は追い打ちをかけた。

 

 だから、当時はできるだけ「クルマに乗せてあげる」と声を掛けられるようなシチュエーションを避けるようにと工夫して暮らしていた。

「このあと寄るところがあるから、電車で帰るね~」とか言っちゃってさ。本当はなんも用なんかないのに。

クルマに乗り合わせて遊びに行くようなお誘いは、かなりの確率で断った。

断り切れず何度かは膝に抱っこで遠出したこともある。どんだけ心臓に冷や汗かいたか。

タダでさえしんどい育児期に、こんな余計な悩み事を抱えてしまって、ホント大変だったなあと思う。

 

こういう話になると、

「人間関係をギクシャクさせてでも、子供の命が第一に考えるのが母親のつとめである」

という論調になりがちだと思う。

上記のツイートなんかはまさにその好例だ。

「空気を読め」という友達に対して「子供の命より大事な空気などない」と応じ、空気を凍らせる。

それはある種の潔さ・格好良さがあるので、ネットなどでは特にウケる。

しかし、実際のところ、どうなんだろう。

人によるとは思うけど、もしわたしなら、そんな言い方でバッサリと切り捨てるとしたら、今後はそのコミュニティとは一切関わりを持たないという覚悟のもとにやらなければならない。

その程度の友達なら別に要らない、子供の命さえあれば。って、本当にそうだろうか?

 

これまた人によるとは思うけど、育児期のママ友コミュニティっていうのは、ある種の命綱ともいえる機能を持つ。

「ママ友コミュニティからドロップアウトせずに暮らす」ということもまた、子供の命を守るために必要なプロセスなんじゃないだろうかとわたしは思うのだ。

わたし自身、生まれ育った土地から離れぽつんと夫婦だけで子供を育てている立場だったので、当時は近所のママ友という存在がとても大切だった。

もちろんパーフェクトな人間関係に恵まれていたわけでもないけれど、同じぐらいの子供を抱えた知り合いが近所にいる・たまにおしゃべりできるというだけで、どれだけ救われたかわからない。

それは命の恩人といってもいいレベルで大事なものだった。

 

実際にはそれほど高い確率で起きるわけではない交通事故の心配のために、命の恩人レベルの人間関係を捨てて本当に大丈夫なのだろうか。

チャイルドシート無しでクルマに乗っても、それで命を落とす確率はわりと0%に近いけれど、「死にたくないからあんたのクルマには乗らないわ」とズバッと言ってのけたらママ友を失う確率はほぼ100%だ。

そして、ママ友を失ったら、母子で死ぬ確率はそれ以前の倍以上には跳ね上がる気がする……。

 

もちろん「だから、ちょっとぐらいいいじゃーん」って話ではないんですよ。

ものごとの優先順位というのは、それほど単純でもないんだよってことが言いたかったのです。よく考えて決めようね。

そして、決めたなら自分が捨てた方の選択肢についてはあまりクヨクヨ考えたり罪悪感を持ったりないこと。

これが、健やかな心を保つために必要なことではないか、と、わたしは思う。

そういうお話でした。