あてもなく

誰かへの手紙

大掃除は基本的にしないことにしています(キリッ



えばるようなことではないけれどですね、大掃除らしい大掃除はあまりしないのです。

月1回とか何ヶ月かに1回、気が向いたらやっている少し念入りな掃除を、年末だけは意識的にまとめて実施しているというか。

なんなら気が向く理由が「年末だからね」とかそういう感じでたまたま普段よりはよく掃除をしているという感じ。

 

ブログで何度も書いてきたけど、わたしは掃除が苦手だ。

わたしが掃除したって、本当に全然綺麗にならない。

家族も誰も気にしてないし。わたし以外に「掃除やろうぜ」とか言う人いないし。

だから、もういいの。

 

ちなみに、モノを捨てるのは大得意なので、掃除はそんなに上手じゃなくてもゴミ屋敷にはならない。その点はご安心を。

サッと拭いたら落ちる汚れとか、掃除機で撫でれば取れちゃうぐらいのホコリをなんとかするのはいつもやってるし、生きて行くにはそれでも困らないのではないだろうか。

 

もちろん、大掃除をした方が心がリセットされて新しい年を気持ち良く迎えられるという気性の人はそれでいいのよ。

わたしのように掃除を苦痛にする体質の人間が、「年末だから」というだけで普段はしないような掃除をがんばってやらきゃいけない気持ちに苛まれたり、やらないことで罪悪感を感じたりする必要はないんじゃないだろうかと思う。

 

大掃除もしない・おせちも作らない。

あとは、年末年始の帰省もしてないんです。

もう少し季候が良くて、あまり多くの人が交通機関に集中しない時期にゆっくり帰るのがお気に入り。

 

それが当たり前だから大変だけど頑張ってやらなきゃって思い込んで続けている習慣のようなものって世の中にはわりとたくさんあると思う。

もちろん、全部が全部逆らう必要はなくて、場合によってはそれに従っていくのが結局一番ラクで快適ということも往々にしてあるのだけれど、もしそれが自分にとって苦痛であれば、一度「それは本当に必要か」と問い直してみる価値はあるのではないかと思う。

 

問い直した上で「やっぱりやらなきゃ」と決めたなら、それは「世間にやらされてること」じゃなくて自分の選択になる。

そしたら、また感じ方も変わってくるのではないかな?

わたしは自分で考えて「やらない」って選択したから、世間がどんなにおせちや大掃除や帰省を勧めてきてもなんも恐くない。

 

もちろん、身近な人に咎められないのは恵まれた環境ってこともあるんですけどね。